日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

あらばしり(14) なりたいもの

 小学生のころ「なりたいもの」といえば。運動ができなかった、女子にモテなかった。じゃあ、できるようになりたいかといえば、ちょっと違う。そういうのは、「自分はそういうタイプではない」から、考えてもしょうがない。単純で、手の届きそうな感触の「望み」があった。皆さんあったんじゃないかと思う。

 サイダーとかコーラとか飲めなかった。あと辛いカレーも食べれなかった。炭酸と辛いものに躊躇なくいけることが、自分の「成長」だと思っていた。「人には言ったら恥である」ことも自覚していた。いっぱい食えるとか、早く走れるとか、今なら「ジェンダー圧の強い環境に影響を受けた」とか分析されそうだ。

 確かに当時のCMの演出そのまま影響を受けていると思う。コーラ飲んだり、体に悪そうな(ジャンクフード、アルコール、たばこ)ものを摂取することがカッコいいとなぜか思っていた。「環境が価値観を決める」というのも、そのとおり。でも、もっと「どうしようも無いもの」もあるでしょう。3kg前後の体が10倍20倍に巨大化する。ジェンダー関係ない。誰もが大きくなってしまう生き物だから「大きくなれば嬉しい」、成長とともに食べる量が増えるから「何でもいっぱい食べられるようになりたい」。

 炭酸と辛いものと、あと「どこでも寝られる人」になりたかった。「どこでも寝られる/寝てしまう」という友だちの話を聞くと、まず羨ましい。このかた病的な不眠になったことはないけど、いろいろ「整わないと」寝れなかった。豆電球もだめ、置き時計の音が気になるとかマクラが合わないとか、「この順番で寝返りする」とか。ステルス生物兵器、すなわち「蚊」が出たら終わる。小さいころは、田舎の、夜中は「ほぼ無音・暗闇」の中で生活していたからかもしれない。

 学生時代の家賃8千円の古いアパートは、隣がトラックとかがよく走る道だった。夜中にトレーラーが定期的に通過して家が揺れた。夏は玄関を全開にして風を通さないと暑くて生活できない。こんな話を「自虐ネタ」に使っていたけど、内心は「モノともせずに寝てる」という「成長」を感じて充実していた。蚊が好むといわれる血液型なせいか、夏の夜は集まってきた。しばらくするとヒザから下に3,4匹食いついたままで入眠できるようになった。掻いたりしないからか翌朝かゆくなることも少ない。気のせいか、蚊の方もだんだん寄ってこなくなった。蚊の方でも「動物の抵抗をくぐり抜けて血を吸いたい」というのがあって、「炭酸きついけど飲む」みたいな。相手が無心で相手にしないと「張り合い」がなくなるのかもしれない。蚊だって「成長」したい。

 施設に就職して夜勤は大変だったけど「どこでも寝れてるぞ」という密かな成長を感じていた。ヘルパーでは毎回寝床が変わって刺激的だった。ただ、未だに「山小屋」でまともに寝れたことがない。でも山小屋で「成長」しようとは思わない。あの管理された感じや、集団行動、同調圧力が気に入らない。「いつでもどこでも寝られる」は、「与えられた場所で」だったのが、「選択肢を増やす」方向になっていた。

 何十年ぶりにテントと寝袋を引っ張り出して、旅先・出張先でキャンプしている。キャンプが好きでもない。焚き火もしないしコンビニのパンを食べる。「どこでも寝たい(決められたくない)」だけなので、合間に泊まる東横インが5つ星の極楽に感じてよい。

介助者を6年やってみて(12)  誰も悪くないのに、お互いしんどい

 ルールが細かく決まっていて、きっちり指示をできる利用者の現場は、独特なしんどさがある。ハラスメントとかしない人格者であってもそうなので、申し訳なく思うこともある。自分が薄まっていくような感じがする。失われる「自由意志」みたいなものを補うためにいろいろ工夫した。

 5分くらい何もせずじっと待つ時間が苦手だった。以前の通信に「片足つま先立ちしながら耳掃除をしている」と書いた。片道8kmを通勤ランしたのも、その「自分補完活動」の一つだった。ただ、公園で汗を拭いても、やっぱり走ったら衛生的でないし、静かな屋内では筋肉ってわずかに「機械音」がするんですよね。グイグイみたいな。さらに、声かけられた時にヨガみたいな格好をしていたらすぐに動けない。

 広告などで「パワーブリーズ」っていう「息を吸いにくくする」器具を見かけた。B'z の稲葉さんが使ってる。細いストローで吸うように呼吸に負荷をかける。買うと1万円だけど、手を口に添えてやると似た感じになる。10回くらい本気でやると肺活量が増えてインナーマッスルまで鍛えられるらしい。ヘルパーの裏の「奥義」を体得してしまったかもしれない。姿勢を変えずに、すぐに次の動作に移れる。次は「瞑想」くらいしか残ってないと思って呼吸法とかを調べ始めたが、現場が変わって「道の追求」は休んでいる。

 その昔、入所施設の職員として利用者の意思や人格というものを二の次にしてきた【罪】を「奪われる側」に回ることで償っているのだ、と言い聞かせていた。そうでもしないとしんどい時もあった。筋トレもせず、贖罪のファンタジーもない同僚たちはどうやって乗り切っていたんだろう。難しいのは、どう考えても利用者の方が大変そうなことだ。障害や病気のことではなく、10人20人と有象無象が自宅に来て、何割かは私のように行動が不審で、何%かは自分の安全に関わる素質を持っているかもしれない。どちらかが不正をしているわけでもなく、どちらもしんどい。

 精神的に波のある人の現場も似たしんどさがある。罵声を浴びてツライという直接のものではなくて、じわじわと感覚が狂っていく。今関わっている青年はトラウマ体験を重ねて、いろいろやってみるもフラッシュバックが起きて挫折を繰り返してきた。何かつまづくと、その原因と責任がどこにあるかにこだわる。自分のせいなら自分を責めて自傷する。ヘルパーや他人のせいだと見なせば罵詈雑言の嵐となる。外に出て、思ったより暑かったら「伝えなかったヘルパーが悪い」となる。理不尽に失敗を責められてきた経験がそうさせるのだろうと、また当時彼を傷つけた相手に向けた言葉なんだろうと、脳内の福祉の心・良心がささやく。一方で「受け止め切れない」のも事実で。。関わる人を増やしたり、傾聴したり、時にはかわしたりしてはみるものの難しい。

 ある時、本人が勘違いしたけど何とかなった、ということがあった。一通り済んだあとで「確認しなかったアさんが悪いから殴ろうと思ったけど我慢した」と言われて答えに困った。「よく我慢できたね」と評価する気持ちにはなれないし、否定しても、本人は本気で言っているのでこじれる。数秒悩んで出てきた言葉は「あぁ、、おぅ」とだけ。
 認知症の「物盗られ妄想」は、物忘れがひどくなって、昔のように記憶したり探せなくなったことが受け入れ難く、「盗られた」ことにしてその辛さを回避しているという解釈がある。彼にも当てはまるし、傷つけられてきた人たちの多くは「責任」という実体の無いものを負わされて無理をしてきて、いろいろな場面で「自分か、誰かが責任を負わないといけない」という考えに囚われがちなのかと思う。

 受け止めるのが基本なんだろうけど限界がある。PTSDの本を読むと「その怒りは当時傷つけた加害者に対するもの」と書かれていたりするけど、それは自分やヘルパーではない。最初に挙げた身体の当事者の場合だと、自分が「意思のないロボット」であることを求められるしんどさがあった。こちらの場合は「サンドバッグ」として吊られるしんどさというのか。それを押し付けてきた社会の一員として、今回も【罪】を償うべきなのか。

 最初の「ルールや指示の厳しい現場」については考えがある。そういう現場は、実質として「派遣労働」の関係になっていると思う。

派遣労働:派遣元企業が自己の雇用する労働者を、派遣先企業の指揮命令を受けて、派遣先のために労働に従事させることをいい、その特徴は、指揮命令者である派遣先(ユーザー)と派遣労働者(スタッフ)の間に労働契約が存在しない。

 利用者は会社じゃないので法的には違うんだけど、「使用者」の立場だとみなせると考えている(介助経験者は異論ないのではないかと)。そうなるとパワハラ・セクハラは当然許されないし、労働者の心身の健康を害するような環境は正されないといけない。

 最近自分は「アクセルを効かせるためにもブレーキが必要」と言いたい人になっていて、利用者の意思や権利を尊重するためにも、行き過ぎないために、同じ(労働者の)権利をぶつけるのがいいと考えている。本人の権利や意思は他の干渉を受けにくい概念なので「運動」の場面ではそれが効くけど、生活の場面では使い勝手が悪い。

 精神的に波のある人の支援に「労働者うんぬん」は当てはまらない。ブレーキにあたるのは、「これ以上はできない」という線引き(専門用語があったけど何だっけ)だと思う。線引きを明確にしておく。また、むちゃくちゃ言われたあとでシュンとして謝られると妙に情が湧くこともある。「DVの被害者ってこんな感情なのか」と思った。加害者も事情があろうけど、全部受け入れると本人も歯止めがかけられない、という「イネイブリング」を回避するためでもある。フラッシュバックは確かにつらそうだけど、ヘルパーは「当時の加害者」ではない。ぶつける相手はヘルパーではないはず。責めるのではなく、でもちくちくと事実確認は入れていかないと。それで嫌われることも多いけれど、「許容量」は多くないし、サンドバックでも、バッティングセンターの球でもない。

 「誰も悪くないのに、お互いしんどい」たこの木もそれかもしれない。自分の「たこの木病」は、最近では「末期」まで進行してしまったようだ。いろいろ諦めたくなってくる。ただ、上で出てきた青年との付き合いで身についた「トラウマのめがね」を通すと、岩橋さんにも「何かそうせざるを得ない過去の痛みや束縛」があるのではないか、と考えるようになった。何でもトラウマに当てはめて見てしまうようになってしまった。そうすると「仕方ない・すぐどうにかなるものではない」、で結局、もっとどうにもならない。

 どうにもならない、で今回終わってしまったので、次はより前向きな話か、最近はまっている「ソロキャン」のことを書きます。

介助者を6年やってみて(11) 運動を引き継ぐために

 「運動は引き継げない」という言葉には、「あきらめ」を含みつつも「達観した明るさ」があると思っていた。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」みたいな。ただし、人生をかけて守ったものと名誉は残る。・・どうやら、そうではなかったらしい。とても苦しそうに見える。「伝わらない。参考にしてくれない。なぜなんだ?」それが漏れ伝わる下の世代は、自分たちの「出来の悪さ」を日々つつかれている感じになり、いたたまれない空気になる。何とかしたい。

仮説:とうの昔に、多くの人を惹きつけた当時の運動とは「別物」に変質しているから。

 外から見ればまるで違うのに、中にいた人は「ブレずに続けてきたのに、周囲の反応が変わった」と感じる。そのズレが、お互いを苦しくしている。

結論:では、衰退するのみか?・・ということではない。「引き継ぎ可能なもの」があると思う。それは中にいる人には見えにくいものなので、協力して見つけ出すのがいい。ただし、どれも重要に見えるものから「取捨選択」することになり、大変な作業になる。

ここで書いてないこと:運動「全般」のことではなく「たこの木」で起きていることに限ってます。何かを説明するもの(≒ 理論)ではなく、「たこの木」の関係者に説明するための「モデル・仮説」です。目標は、正しく分析して全体像を理解することよりも、新たな視点を示して、「背負いすぎてしまったもの」を下ろしてもらうことです。

・・と断りつつ、運動全般についての余談です。私がそうですが「出来は悪い」のは確かです。おそらく「適性のある人材」は、こちらには来ない。上の世代も、自分の世代も発想できないような新しい「場と関係」の中で新しい「運動」が起きていて、この今も発展しているはずです。違うジャンルで、それっぽくない人たちが、広場でなくネット上で、中央でなく周辺で。

 右の図を使います。太線(理念・態度)が運動の「中の人」です。ほぼ岩橋さんのようですが、若干広がりを持ったイメージで作ってます。

「運動」の主体はどこにあるのか?(社会を動かした一番大きなエネルギー源くらいの意味)
「運動の中の人」にとっては【①+②】であろう。私が考えるのは【①+②】は「触媒」の役割で、
【③+④】が実際に社会を動かした。

 「動かす」という動詞の解釈に依るんじゃない?とか、つっこみどころの多い説明だと自覚はある。要は【①+②+③+④】が全部セットで「運動」だったのであり、引き継ぐも何も、周りの環境が変わって、元のものは既に失われてる。質は劣っても「他の誰かがなり得た」のが【①+②】、無くてはならなかったのが【③+④】だと思う。

 なんでこんなに回りくどいことを書くかといえば、私個人として【①理念】に憧れて関わりだしたのに【②態度・ふるまい】がどうにも受け入れられない。「そういう人だ、クセだ」と納得しようにも、そこに「ぜったいに譲れない熱量」がこめられるのでスルーできないし、ぶつかることも出てくる。それを続けたら、むしろ人は離れて、引き継ぐどころか「反対運動」を育成してるようなものなのに。そこで【①+②】が「不可分」で変えることができないという「気負い」があると考えるようになった。

 「不可分」なのは【③+④】を含めた、中の人には関与できない社会全体なのではないか。これは仮説にすぎないけれど、おそらく必要ではない「気負い」を減らしていければ、お互い楽だし、一歩進んで【①理念】のようなものを抽出できれば、今の環境に合わせた【②態度・ふるまい】に修正して、再び質の良い「触媒」となれると期待している。

 独りよがり概念が多すぎるのでそろそろ説明します。まず「触媒」は、津波の映像を繰り返してみて「何かしたい」という気持ちが最高潮に達した時にコンビニに募金箱を見つけると猛烈に募金する。テレビや募金箱が触媒、というイメージ。

 

①理念:(今のたこの木にあるとすれば、という仮の候補に過ぎませんが)
入院入所させない・関わり続ける・人と人の関係〜専門家・職業としてでなく

②態度・ふるまい:(当然良い面もありますが、話の展開上悪い方を)
入院入所はさせない・関わり続ける
 → 支援側の犠牲はしかたがない(と外から見える)。心身を壊して離脱する人がいても理念が優先(と見える)。犠牲の少ない「両立を目指す」姿勢や、その方法を検討することは「妥協」や理念が歪められるので好まない(と見える)
人と人の関係
→ 支援者に勤務外のプライベートな関わりを求める(関わり方を日々チェックされるプライベートな関わりとは?)。職として関わりだした支援者への絶えざる違和感。「制度ありきではない」という意味での「人と人の関係」を拡大して、労働者の権利は後回し、ボランティア精神重視。自分はそうしてきた。

③周囲の人の理解・協力
ひと括りにできないが、数十年前は「それ以外で生計を立てている」人が多く関わっていた。今は職業としてメインの収入としている人が多い。
関わる当事者の年齢が上がるに従って、関わる人が変わり、地域の視線も変わる

④社会の関心・トレンド(掘り下げたいですが力不足で・・次回以降考えます)
弱者への目線の変化、行政への不満(公務員への信頼感)、恵まれた生活の負い目などなど、時代のトレンドの影響があったと体感で感じます。

「JR乗車拒否」の伊是名さんでは、「当時」であれば正しい行動だった(私もそう思っていた)はずがしぼんでしまった。従業員の労働環境の方に関心が向かう。SNSとマスコミを駆使して発信できるのも今は「特権」と見られる。逆に今は性的マイノリティの発信には社会の共感と後押しがあると思う。

「川崎バス闘争」と私の生まれたのは近い。80年代バリアフリー法制進む。子どもながらに「成金日本人の罪悪感」という発信が多かった気がする。海外で醜態をさらして嫌われる日本人とか。エチオピア難民キャンペーンは80年代後半。

あらばしり(13)by あ(題字 by あ)

 4月に3回目のワクチンの予約をしようとしたら先に感染・発症してタイミングを逃した。都心の方に行くことがあったので、ついでに、今さらだけど丸の内の接種会場に打ちに行った。帰りに近くの「信託博物館」に寄った。小さな博物館だけど楽しめた。一番身近な信託は「遺言」で、「有名人の遺言を調べてみよう」コーナーがある。莫大な遺産をペットに残して、ペットが死んだら残りは寄付するとか。アインシュタインは秘書の女性に大半を譲ったと知って、ゴシップネタを期待して、その場でスマホで検索をかける(遺族が否定していた)。

 割と何でも楽しめる。知識も深い理解も無いけど、さらっとウワベを楽しむことは得意だと思う。池袋のはずれに研修か何かで行ったときに、大名屋敷跡だという公園に博物館を見つけた。その「永青文庫」は「和」の展示が中心だった。自分が行った時期は8割方「書」だった。努力してみたけど全く刃が立たなかった。文字関係は分からない。休んで再トライしようとレトロなソファでスマホをいじった後、諦めて帰った。

 昔から字が汚くて、汚すぎて小学校の全員が応募する市の作品展で硬筆の佳作(誰でも取れる)をもらったら特選の子よりも褒められた。先生は「奇跡が起きた」と思ったんだろう。大学時代は「もうこれで一生字を書かなくてよくなる!」と思って「激打!北斗の拳」とかで猛練習した。基本「かな入力」で、まあまあ速く打てるようになった。

 最近、刑事事件を起こした人の支援を始めた(と言っても1件だけ)。その20代の青年にもらった手紙が達筆だった。「◯◯な人なのに達筆」だと偏見が入ってしまうので説明は控えめに。そりゃ多少はステレオタイプで観ちゃうけどね。20代で、仕事も犯罪行為も反社会的なことをしてきた男子なら、自分と同じくらいに字が汚いものであろう。

 生まれて初めて「拝啓」から始まる手紙を受け取った。季節の挨拶もあった。本題が終わると、軽めの近況報告があって「敬具 氏名」で終わった。「B罫」レポート用紙に4,5枚びっしりと1文字の訂正もなく整った字が並んでいた。圧倒された。「字に人柄が出る」というというのは印象より、もっとフィジカルなものだと思う。1ページ間違えずに書き通す集中力と、小さな字は指先まで神経が通ってないと書けない。目から入る情報と指先の筋肉が連携していて、姿勢も良くて。

 季節の挨拶なんか「形式」でしかないけど、年を取ると、こういうのに弱い。実際、日常会話でも「本題」の前には無意識に雑談を入れて心の準備をするので不自然ではない。数日前に、自分が差し入れに添えた走り書きのメモを思い出して猛烈に恥ずかしくなった。捨ててくれ。。

 モンティッソーリ教育の「敏感期」。未使用分野はおじさんになって発動するのかもしれない。暇さえあれば、ずっと「ひらがな(いろは歌)」を書いていた。YouTubeにペン字の先生がたくさんいますが、僕が好きなのは「長谷川悠貴」さん。素人が見るとバランスが崩れる寸前みたいな字で楽しい。なぜか「いいね0」ばっかりなので宣伝したい(リアルがメインの活動なんだろう)。

 試しに両親に誕生日や結婚記念日で何通か手書きしたら、かなりの反響だった。親の年齢だと効果は何倍にもなって「不肖の息子がまともに見える」ようだ。字は多少マシになっただけで下手だけど効果は上々だ。こんな安上がりな自己投資はない。ちなみに「ジェルインク」に変えるだけで5割うまく見える。

 次は、支援中の彼の家族に手紙を書こうと思う。絶縁されているが、本人の関係修復の思いは強い。手紙の書き方から厳しく叩き込んだ「教育と躾」に厳格な親御さんらしく、あまり気は進まない(怖い)が、ここに書いた勢いでやってみます。(タイトルは本文と関係ありません)

沖縄日記(15)やんばる日記

※コロナ流行下の旅行を推奨するものではありません※ 出発予定の6月末に「再流行してたらキャンセルする」つもりで手配したら、幸運にも(一瞬だった)流行の谷間でした。秋頃になるか、収まっていたらオフシーズンで格安になると思うので是非おでかけ下さい。今回なんと飛行機往復1.4万円でした!
 
【成田空港】終電で成田駅 → 10km歩いてロビーで休んで早朝便に乗る作戦。前回、第3ターミナルでは成功、疲れ果てて良質な仮眠がとれた。今回は大失敗。朝4時まで迷い続けた。そこに見えてるのにフェンスだらけで近づけない。やはり「闘争」まっただ中に作られた第1ターミナル。「攻略」する楽しさはある。歩き成田。

【やんばる旅】友人たちと定期的に旅行にいく。女性や車イス使う人もいて、いつもの貧乏旅ではない。ちょっといいホテルを取る。定員の関係で一人近くの民宿に素泊まり。人口数十人の漁村「安田・あだ」はとても良い雰囲気。道中「なんでここに?」という魅力的な集落を幾つか、宿もあった。次行きたい。

【オクマリゾート】沖縄北部の代表的リゾート。前回の旅で「民宿派」から転向した。中年からはリゾート。シーズン外せば安い。メゾネットのコテージ、良い感じの部屋で、電話するとカートで迎えに来る。だんだんリゾートずれしてきて「カートが遅い」とか言ってるけど一人7,000円だから。贅沢いわない。全国から集まる若いスタッフのもてなしが最高で、第7波のニュースを聞くとまっさきに彼&彼女らが心配になる。

【大浦湾グラスボート】実態は反基地活動の資金集め。以前寄付をしたら報告書を送ってくれて、そこに観光船のチラシも入っていた。出港する「汀間てぃーま」漁港は、きれいに色分けできないものの縮図になっている。管理者の漁協は、近くで漁できないので国に雇われて「監視船」を出す。警備会社もここから出港する。それでも漁協は活動家を排除はせず、漁船や警備艇が出払った後、また港の端っこに船を停めさせている。

那覇市街の森と墓地】観光名所「国際通り」の裏に点在する「森」。ちょっと覗くと沖縄式の大きなお墓が折り重なっている。ビルが密集した中にいきなりこれだから、旅行客にとってはエキゾチックで魅力だ。旅仲間の沖縄の友人が言うには「沖縄には霊的なものが多すぎて、ある時から一切信じなくなった」街なかの墓地も開発の邪魔という。信心深い人も同行しており、車内でしばし論争になった。

【沈没ドミトリー】解散して那覇に一泊。マップに履歴があった宿をとった。前回若かったので800円という安さに釣られて「素泊まり」にしたら「屋根はある」という意味の「素」だった。寝具もなく、帰宅して発熱し1週間風邪をひいた。今回は布団付きドミトリーにしたら、風邪は引かなかったが10ヶ所ダニに刺されて1週間苦しんだ。

【県立博物館】気合の入った展示で、沖縄<国>立博物館という感じだった。実際そうだったらしい「沖縄が独自の文化を持っているということから「県立」であるが「国立」と同等の意味を持つ美術館」WikiPedia。沖縄と本土、違うと思って見れば全然違うし、共通点を探せばほとんど同じにも見える。

【タクシーの運転手】博物館で時間オーバーして飛行機に遅れそうになる。運転手さんの息子が脱サラして北部でパイナップル農家になって心配だとか。腕を上げてブランド物「ゴールデンバレル」を出荷できれば一玉3,000円なんだけど大変だ。明後日は「慰霊の日」で道路の警戒してます。皇族が来るとこんなもんじゃない。前の天皇が来た時は窓から手を振ったりしてくれてね。政治家は窓を閉めて走り抜けちゃうけど。

【慰霊の日】10年くらい前に式典を見に行った。安倍さんを載せた車が猛スピードで入ってきてスピーチ中にヤジが飛んで、終わると猛スピードで走り去った。有名な「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」を打電した後、この6月23日に司令官が自決した。この言葉は、自民党の政治家や官僚の書いた本によく見る。政治的な信念を決定づける強烈な言葉だったようだ。結果がどうあれ体制側にそういう信念の人がいる(いた)。博物館の展示を見ながら考えた。中央の横暴に疲れた沖縄の人には、後段の「格別のご高配」を胸に刻む政治家・高官もいると伝え、本土のリベラル嫌いの沖縄を差別的に見る人には、前段の「沖縄県民かく戦えり」、さらに前の一人ひとりの具体的な貢献の描写を読み聞かせる。何事にもどっちつかずな自分には適任かも知れない。沖縄から台湾のあたりは急速に不安定になる。多少虚構混じりでも、本土と沖縄が一体であったほうが悩みや痛みの総量が減る気がする。そのための物語が沖縄戦というのが自分の発想の貧しさだけど。

介助者を6年やってみて(10) Y先輩の投稿を読んで

 昔、入所施設に住んでいる友人や知り合いが風俗を利用するボランティアに精を出していた(深い意味はない)時期がある。多い時は毎月くらい夜勤明けでフラフラでも少し意地になってやっていた。利用しやすいホテルを探して、山の上の古いラブホテルに手動車イスを押して登った。疲れて眠くて倒れそうで、隣の部屋が開いていたのでこっそり入って仮眠したこともあった。というのは今だから書けるし、逆に今は性労働の問題もあって批判も出そうだ。 

 そのモチベーションは、彼らの性の悩みが「身につまされる」からだった。当時は、彼女もいなくて空しくなる時もあったけど全然問題ない。平気だよ人生楽しいよ。ただの生理現象で落ち込んだり自尊心まで削られるのはくだらないから「処理」しちゃえばいいんだよ。 心で泣きながら車イスを押していた。 

 「ケア・支援」につきまとう「自己実現・自己満足・自己肯定感」等々のことだ。個人的にはポジティブに捉えている。動機としては不純だけど、モチベーションの源泉としては純度が高い。埋蔵量は無限だ。もっと昔の自分の兄の介護中、話もしなくなった兄を見て、家族は想像を膨らませた。「兄貴はこうしたかったんじゃないか」そう考える時間は充実していた。ふと、寝ている兄がカッと目を見開いて「オマエ何勝手なこと言ってんの?」と言われるイメージが浮かんで、我に返った。 

 自分の価値観や願望を、何も言えない相手に投影してるんだよな。そのころ、小規模の居場所づくりが注目を集めていた。「宅老所」や知的障害者の地域での取り組み。その支援者の代表の名前で発信することが増えた気がする。現場は大変だけど、支援者の「思いを叶えてくれる」人たちだよね。カリスマ社長みたいになれる。そういうのを横目に「不純でイイね!」と応援してた(ちょっと憧れていた)。 

 岩橋さんが時々書いている。「たこの木は遠くの人から評価されるけど、近くの評判が悪い」。多少年季の入ってきた「たこの木フォロワー」としては、そのギャップを埋めたい。近づいたら「やっぱり良かった」となって欲しい。Y先輩が先月書いた原稿が実に危うくて、近づいたら「心身に悪い影響が出る」、心霊スポットみたいになりつつある。これはまずい。最近のいくつかの出来事から「仮説」を考えてみた。人の分析などできないし、されたら嫌なことなので今回だけ。自称外部監査役のつもりで書く。 

 岩橋さんには「アンチ全体主義」がDNAレベルで組み込まれている人だと思う。何か大きな流れが生まれようとすると、生理的に受けつけない。国の政策でも現場レベルでも。「みんな知ってるよ」と言われそうだけど、重要なのは、当事者とか支援より「ずっと前の段階」でそうだということ。 

 よく「バランスを取る」と言う。議論をし尽くす前に、何となく1つの方向性に全体が向かい始めると、別の視点を提供する。「方向性を否定しているのではなく、より良い議論と判断のための参考意見だ」と。でも、私から見ると、ほぼ「拒否権」に近いものを持っている人がそれをしたら、それは「却下」なんだけどね。もちろん権力や権威を振りかざす人ではない。一方で、言われた側は「ここで方向性を決めても、きっと延々とバランスを取られ否定され続けるんだろう」と実質的・拒否権行使と受け取る。 

 根拠が薄かったり、古すぎる事例だと(Y先輩’s 15年前の発言。。)良くないし、いくつか見聞きした話をします。そもそも個人の性質を他人がとやかく言うことではない(けどやってる)。先日の連続講座の交流会を聞いていて、岩橋さんも「なんでこうなるんだ」と悩んでいるようだったので続けます。 

 交流会での「コロナ対策」の話題で「一方向に強制する雰囲気」が許せなくて必死に抗ったエピソードを話していた。これじゃ周りは大変だなーと苦笑いしながら聞いていたが、わりと無茶な理屈を押し通す岩橋さんもしんどそうに感じた。「そうせざるを得ない」何かが突き動かしているように。当事者が〜だから、と言っていたけど多分違う。当事者や支援とは別のレベルから出ている。本能のような。 

 基本的には働きやすい環境を整えようとしてくれていて、介助者なりたてのころに、お店で大騒動に巻き込まれた時や、虐待の調査で大変なときも丁寧に話を聞いてくれた。なのに時々「やっぱりヘルパーは使い捨てなんだな」と感じる時がある。現場が疲弊しきっている「ここでバランス取っちゃダメだろ(しかも実質拒否権)」という時に逆張りかますのでそうなる。 

 利用者が家から居なくなって慌てて捜索した時のこと。地元で支えきれなくなって、多くの介助者は車で1時間のところから来る。支援チームは、以前岩橋さんから「昔居なくなった時は駅でガラスを割って警察が来た」と聞いていて、同じように孤立無援な状況になっていたら心の傷も大きいだろうと思って1時間かけて駆けつけて探し回った。さすがの岩橋さんは行動を予測して第一発見者となった。 

 その夜のZoom会議で顛末を聞いた。曰く「みな大騒ぎしすぎ。自分は土地勘があるし、彼のことを知っていればどうするか予想がつく」。聞いてられなくて席を外した。心配して駆けつけて、手さぐりで探し回っていた支援者たちはどこに行った。「どこを探せばいい」とか簡単な指揮をしてくれたらいいのに。本人の過去を知っていて土地勘があるのは岩橋さんしかいないのに、自分の手柄の話だけをしている。チームの大半に土地勘が無い理由は何だっけ。力を出したり引っ込めることで影響力を誇示するスタイルなのか。 

 でも今は自分なりに理解できる。それぞれが考えること無く、誰かの指揮で動く、というのが耐えられないんだと思う。だからリーダーはやらないし、生理的に受けつけないんだろう。じゃあフラットにメンバーに一任できるかと言えば、アンチ全体主義は理屈でなく本能なので、メンバーに権限や責任が託されることはなく、気になって口をださずにいられない「マイクロマネジメント上司」になる。「あなたはどうしたい?やってみたらいい」と言われても、実態は良くも悪くも「普通の会社」なので、選択肢も裁量も少ない。お互い苦しいと思う。 

 とはいえ、たこの木は、これまで上手くやって来ている。事業の「株分け」をしたり、大幅減算もいとわず制約の少ないサービスを選ぶ。こんな「骨を切らせて肉を断つ」式を連発できる所はないと思う。心配した人が集まってきて何かと回っている。たこの木の魅力は健在だ。個人的に「一人たこのき」を提唱している。その代わり、何かやるときは、いつでも手伝います。「一人たこ焼き」みたいで語感がよい。 

 風俗介助してた時に聞かれたら「障害者の性」について、遠くを見ながら語っていたかもしれない。あったかもしれないが半分は行かない。あのモチベーションは、自分のコンプレックスと単純に楽しいこと。ラブホテルで出くわすカップルの、ムードをぶち壊すのが実に愉快だった。やる気のない自分で半分、名の知れた立派な支援者だって1割や2割は不純な動機があって、それが分かれば楽になるのじゃないかと思う。カップル爆発しろ!たこの木も爆発(解体・一人たこのき)だ〜 

あらばしり13(雑談) 岡山県「犬島」3時間滞在プランのご案内

 「瀬戸内」の海を見てほしい。見に行けなくても「西日本に特別いいところがある」って知っていてほしい。なんだけど、ここに限らず人に勧めるとだいたい嫌がられる。どうしても「押し付け」感が出るみたい。自慢や自分語りを極力入れずに勧められないか。
 来年、5年後、世の中どうなっているかも分からない。コロナ前なら「県外に出られない」なんて意味が分からない。でも、それが実際起きていた。今の黒海のように瀬戸内が海上封鎖されるかもしれない。できるだけのことをしておきたい。
 瀬戸内の島々が重なって見渡せる場所。できれば島の1つに渡るのがいい。岬や広い海岸、または高い所、展望台や大きな橋に車を停めてもいい。広い瀬戸内海の中で、島々が集まって重なって見えるのは「小豆島」から西は「尾道」や「しまなみ海道」までになると思う。それでも幅が200kmはあって、どこかに絞らないと旅のプランが立たない。
 夜行バスで香川県は「高松駅」に着く。駅前に「フェリー乗り場」がある。昔、岡山までの「宇高連絡船」というのが列車を船で運んでいたという。フェリー港はアクセスの悪い町外れにあることが多いから、とにかく便利だし、旅先で朝の満員電車やバスに乗らなくていい。後で書くけど、瀬戸内では「海がインフラ」という不思議な感覚があって、「公道、公共交通機関」みたいなね。高松駅は、それをよく表していると思う。
 夜行バスが着いて高速船が出るまで1時間ある。朝から開いている讃岐うどんの店で朝食をとる。「アートの島」で有名な「直島」に行く。このパターンを4回くらいやった。先週も行ってきたので、こうやって盛り上がって記事を書いている。要は、近年の「地方アート祭り」ブームに乗せられた「良いお客さん」である。そこは認める。
 「地域アート」には批判もある。いいおじさんが無批判に流行りにのって人に勧めてていいのか?今回の旅で、そういうのが吹っ切れた。アートも良いんだけど、アート抜きでも瀬戸内はやっぱり違う。ずっと「釣り人」がうらやましかった。突堤の先で、突き出した岩の上で、危ないテトラポットの陰で、半日たたずんでいても不審に見えない。そこら中にある安い釣り民宿に泊まれる。深夜や早朝に海岸をうろついても多分通報されない。地域アートが「釣り人免責」と同じものになる。それがないと人口100人の小さな島に一人では行けない(その昔は「一眼レフ免責」もあったかもしれない)。
 「小豆島」は今でも好きな場所で、小学校の修学旅行先だった。20年後に島を歩いたら、やっぱり独特な穏やかな雰囲気あって良いところだった。島一面にオリーブ畑で、お土産がチョコレート(オリーブ入りのホワイトチョコ)だ。素敵すぎる。加えて、田舎の純朴な少年なりに初の「女子たちと旅行」というのが感性を覚醒させていたみたい。小学4年のときに瀬戸大橋が開通した。30年経った今でも、近くを通ると「人間はとんでもないことを考える」と思う。
 小学4年生が人生で一番楽しかった。友達と遊ぶのがとにかく楽しい「ギャング・エイジ」だとかいう。少し前は「ハレー彗星」が接近し、男子向け雑誌は天体や宇宙ロケットばかり。瀬戸大橋は身近な「科学の勝利」という感じだった。高速道路の下に普通電車を走らせるとか発想がすごい。後でできた明石大橋のほうが単体では大きくて迫力もすごいんだけど、瀬戸大橋が好きだった。小4だから印象が加点されてるけど、それ以上にかっこよく見える。島を踏みつけるように、見下ろすように、なかなか振り切った環境破壊をしているはずなのに、大きな声では言えないけど、調和していてきれいだ。
 3本目の本四連絡橋「しまなみ海道」80kmを一泊して歩いた。当時は体力なくて後半は全身が痛くてフラフラしていたけど、とにかく海がきれいで「次の景色を見よう」と前に進んだ。橋は、じつは脇役で瀬戸内の島と海を引き立ててるのだ、という説ができた。自分語りはそろそろ限界ですか?つまりアートも引き立て役だってことです。
 湖のように波が静か。音量も静か。実家の近くの海は太平洋の海で、まったく穏やかでない。浜辺に30分もいると疲れる。砂浜もいい。アートの島だと花崗岩の黄色い砂が多い。海の青との境目に不思議な色合いがあって見飽きない。湖と違うのは、大型の船も含めて船が行き交っている。早朝は漁船、フェリー、関西の港からの産業用の船。なにより1つ1つの島は「景色の一部」だけではなく、ほとんどは集落や町がある。夜は灯台だけではなく家々の灯りや街灯が海の先に見える。
 遠くに見える島に世界的な建築家や芸術家の作品があるというのも新鮮だけど、それ以前に、遠くに見える小さな島は大昔から「重工業の拠点」でもある。なぜ町があるかと言えば何百人が働く大きな工場があるから。しまなみ海道には造船所があった。アートの島々には金属の工場や廃棄物の処理場がある。もっと昔には石材が一大産業で、大阪城の何百トンという石を切り出していた。重たいものを大量に運ぶには船が一番というのは今も変わらない。
 都会から離れていって、湖や海岸まで来たら人の営みは一区切り、そこから先は余暇で楽しむ場所、という感覚があったと思う。地元の人には失礼な話だけど。中央と辺境という発想が染み付いていたのが、ここに来ると逆転するような驚きと心地よさがある。海は道で、向かう先の制限がないから道より便利なインフラだったんだと。新たな発見ではなくて昔から当たり前のことで、都会にいて忘れていた。きっと「山」もそうだったんだろう。今は『 ポツンと一軒家 』で珍獣発見の扱いだけど。結局、持論を語りまくっていて最初の決心はどこかに行ってしまった。
 高松から直島などに向かうのも選択肢が多すぎると思う。直島だけでも1日で回りきれない。ベネッセの経済圏が膨らんで、定番ルートの決まった古い観光地を回っている感覚になりそうだ。かといって別の島に渡る船の時間を考え出すと1泊でも余裕がなくなってくる。あと高松は新幹線で行けない。

岡山駅から犬島まで

 岡山駅からの方が近いアートの島「犬島」のプランを紹介します。アートがまだ無い頃と、先週と2回訪ねてどちらもすごく良かった。昔は全国でも有数の石材の産地で、大きな銅の工場があって、今はアートの島。すばらしい砂浜もある。旧精錬所跡がアートの目玉施設で面白いんですが、そこは「前座」というもので、その奥の「近代産業遺産・遊歩道」がメインだと思います。登りおりが大変ですが、一番奥の砂浜まで抜けるのがおすすめです。

犬島

 一周歩いて2、3kmの小さな島。人口は40人くらい。3時間で十分楽しめます。船が近づくと、港付近の黄色い花崗岩の奇岩・巨岩が目に入って期待を膨らませてくれるのが、短時間で密度の濃い経験ができるのかもしれない。岡山側からは車しか使ったことなくて断言できませんが、東京から頑張れば日帰りできるのではないかと。せめて別件の用事のついでに「半日使って寄る」とかはできそう。
 ぜったい後悔させません。覚えておいてください。犬島、いぬじま、INUJIMA。(嫌がられるだろうな。。)