日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

沖縄日記(15)やんばる日記

※コロナ流行下の旅行を推奨するものではありません※ 出発予定の6月末に「再流行してたらキャンセルする」つもりで手配したら、幸運にも(一瞬だった)流行の谷間でした。秋頃になるか、収まっていたらオフシーズンで格安になると思うので是非おでかけ下さい。今回なんと飛行機往復1.4万円でした!
 
【成田空港】終電で成田駅 → 10km歩いてロビーで休んで早朝便に乗る作戦。前回、第3ターミナルでは成功、疲れ果てて良質な仮眠がとれた。今回は大失敗。朝4時まで迷い続けた。そこに見えてるのにフェンスだらけで近づけない。やはり「闘争」まっただ中に作られた第1ターミナル。「攻略」する楽しさはある。歩き成田。

【やんばる旅】友人たちと定期的に旅行にいく。女性や車イス使う人もいて、いつもの貧乏旅ではない。ちょっといいホテルを取る。定員の関係で一人近くの民宿に素泊まり。人口数十人の漁村「安田・あだ」はとても良い雰囲気。道中「なんでここに?」という魅力的な集落を幾つか、宿もあった。次行きたい。

【オクマリゾート】沖縄北部の代表的リゾート。前回の旅で「民宿派」から転向した。中年からはリゾート。シーズン外せば安い。メゾネットのコテージ、良い感じの部屋で、電話するとカートで迎えに来る。だんだんリゾートずれしてきて「カートが遅い」とか言ってるけど一人7,000円だから。贅沢いわない。全国から集まる若いスタッフのもてなしが最高で、第7波のニュースを聞くとまっさきに彼&彼女らが心配になる。

【大浦湾グラスボート】実態は反基地活動の資金集め。以前寄付をしたら報告書を送ってくれて、そこに観光船のチラシも入っていた。出港する「汀間てぃーま」漁港は、きれいに色分けできないものの縮図になっている。管理者の漁協は、近くで漁できないので国に雇われて「監視船」を出す。警備会社もここから出港する。それでも漁協は活動家を排除はせず、漁船や警備艇が出払った後、また港の端っこに船を停めさせている。

那覇市街の森と墓地】観光名所「国際通り」の裏に点在する「森」。ちょっと覗くと沖縄式の大きなお墓が折り重なっている。ビルが密集した中にいきなりこれだから、旅行客にとってはエキゾチックで魅力だ。旅仲間の沖縄の友人が言うには「沖縄には霊的なものが多すぎて、ある時から一切信じなくなった」街なかの墓地も開発の邪魔という。信心深い人も同行しており、車内でしばし論争になった。

【沈没ドミトリー】解散して那覇に一泊。マップに履歴があった宿をとった。前回若かったので800円という安さに釣られて「素泊まり」にしたら「屋根はある」という意味の「素」だった。寝具もなく、帰宅して発熱し1週間風邪をひいた。今回は布団付きドミトリーにしたら、風邪は引かなかったが10ヶ所ダニに刺されて1週間苦しんだ。

【県立博物館】気合の入った展示で、沖縄<国>立博物館という感じだった。実際そうだったらしい「沖縄が独自の文化を持っているということから「県立」であるが「国立」と同等の意味を持つ美術館」WikiPedia。沖縄と本土、違うと思って見れば全然違うし、共通点を探せばほとんど同じにも見える。

【タクシーの運転手】博物館で時間オーバーして飛行機に遅れそうになる。運転手さんの息子が脱サラして北部でパイナップル農家になって心配だとか。腕を上げてブランド物「ゴールデンバレル」を出荷できれば一玉3,000円なんだけど大変だ。明後日は「慰霊の日」で道路の警戒してます。皇族が来るとこんなもんじゃない。前の天皇が来た時は窓から手を振ったりしてくれてね。政治家は窓を閉めて走り抜けちゃうけど。

【慰霊の日】10年くらい前に式典を見に行った。安倍さんを載せた車が猛スピードで入ってきてスピーチ中にヤジが飛んで、終わると猛スピードで走り去った。有名な「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」を打電した後、この6月23日に司令官が自決した。この言葉は、自民党の政治家や官僚の書いた本によく見る。政治的な信念を決定づける強烈な言葉だったようだ。結果がどうあれ体制側にそういう信念の人がいる(いた)。博物館の展示を見ながら考えた。中央の横暴に疲れた沖縄の人には、後段の「格別のご高配」を胸に刻む政治家・高官もいると伝え、本土のリベラル嫌いの沖縄を差別的に見る人には、前段の「沖縄県民かく戦えり」、さらに前の一人ひとりの具体的な貢献の描写を読み聞かせる。何事にもどっちつかずな自分には適任かも知れない。沖縄から台湾のあたりは急速に不安定になる。多少虚構混じりでも、本土と沖縄が一体であったほうが悩みや痛みの総量が減る気がする。そのための物語が沖縄戦というのが自分の発想の貧しさだけど。