日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

介助者を6年やってみて(11) 運動を引き継ぐために

 「運動は引き継げない」という言葉には、「あきらめ」を含みつつも「達観した明るさ」があると思っていた。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」みたいな。ただし、人生をかけて守ったものと名誉は残る。・・どうやら、そうではなかったらしい。とても苦しそうに見える。「伝わらない。参考にしてくれない。なぜなんだ?」それが漏れ伝わる下の世代は、自分たちの「出来の悪さ」を日々つつかれている感じになり、いたたまれない空気になる。何とかしたい。

仮説:とうの昔に、多くの人を惹きつけた当時の運動とは「別物」に変質しているから。

 外から見ればまるで違うのに、中にいた人は「ブレずに続けてきたのに、周囲の反応が変わった」と感じる。そのズレが、お互いを苦しくしている。

結論:では、衰退するのみか?・・ということではない。「引き継ぎ可能なもの」があると思う。それは中にいる人には見えにくいものなので、協力して見つけ出すのがいい。ただし、どれも重要に見えるものから「取捨選択」することになり、大変な作業になる。

ここで書いてないこと:運動「全般」のことではなく「たこの木」で起きていることに限ってます。何かを説明するもの(≒ 理論)ではなく、「たこの木」の関係者に説明するための「モデル・仮説」です。目標は、正しく分析して全体像を理解することよりも、新たな視点を示して、「背負いすぎてしまったもの」を下ろしてもらうことです。

・・と断りつつ、運動全般についての余談です。私がそうですが「出来は悪い」のは確かです。おそらく「適性のある人材」は、こちらには来ない。上の世代も、自分の世代も発想できないような新しい「場と関係」の中で新しい「運動」が起きていて、この今も発展しているはずです。違うジャンルで、それっぽくない人たちが、広場でなくネット上で、中央でなく周辺で。

 右の図を使います。太線(理念・態度)が運動の「中の人」です。ほぼ岩橋さんのようですが、若干広がりを持ったイメージで作ってます。

「運動」の主体はどこにあるのか?(社会を動かした一番大きなエネルギー源くらいの意味)
「運動の中の人」にとっては【①+②】であろう。私が考えるのは【①+②】は「触媒」の役割で、
【③+④】が実際に社会を動かした。

 「動かす」という動詞の解釈に依るんじゃない?とか、つっこみどころの多い説明だと自覚はある。要は【①+②+③+④】が全部セットで「運動」だったのであり、引き継ぐも何も、周りの環境が変わって、元のものは既に失われてる。質は劣っても「他の誰かがなり得た」のが【①+②】、無くてはならなかったのが【③+④】だと思う。

 なんでこんなに回りくどいことを書くかといえば、私個人として【①理念】に憧れて関わりだしたのに【②態度・ふるまい】がどうにも受け入れられない。「そういう人だ、クセだ」と納得しようにも、そこに「ぜったいに譲れない熱量」がこめられるのでスルーできないし、ぶつかることも出てくる。それを続けたら、むしろ人は離れて、引き継ぐどころか「反対運動」を育成してるようなものなのに。そこで【①+②】が「不可分」で変えることができないという「気負い」があると考えるようになった。

 「不可分」なのは【③+④】を含めた、中の人には関与できない社会全体なのではないか。これは仮説にすぎないけれど、おそらく必要ではない「気負い」を減らしていければ、お互い楽だし、一歩進んで【①理念】のようなものを抽出できれば、今の環境に合わせた【②態度・ふるまい】に修正して、再び質の良い「触媒」となれると期待している。

 独りよがり概念が多すぎるのでそろそろ説明します。まず「触媒」は、津波の映像を繰り返してみて「何かしたい」という気持ちが最高潮に達した時にコンビニに募金箱を見つけると猛烈に募金する。テレビや募金箱が触媒、というイメージ。

 

①理念:(今のたこの木にあるとすれば、という仮の候補に過ぎませんが)
入院入所させない・関わり続ける・人と人の関係〜専門家・職業としてでなく

②態度・ふるまい:(当然良い面もありますが、話の展開上悪い方を)
入院入所はさせない・関わり続ける
 → 支援側の犠牲はしかたがない(と外から見える)。心身を壊して離脱する人がいても理念が優先(と見える)。犠牲の少ない「両立を目指す」姿勢や、その方法を検討することは「妥協」や理念が歪められるので好まない(と見える)
人と人の関係
→ 支援者に勤務外のプライベートな関わりを求める(関わり方を日々チェックされるプライベートな関わりとは?)。職として関わりだした支援者への絶えざる違和感。「制度ありきではない」という意味での「人と人の関係」を拡大して、労働者の権利は後回し、ボランティア精神重視。自分はそうしてきた。

③周囲の人の理解・協力
ひと括りにできないが、数十年前は「それ以外で生計を立てている」人が多く関わっていた。今は職業としてメインの収入としている人が多い。
関わる当事者の年齢が上がるに従って、関わる人が変わり、地域の視線も変わる

④社会の関心・トレンド(掘り下げたいですが力不足で・・次回以降考えます)
弱者への目線の変化、行政への不満(公務員への信頼感)、恵まれた生活の負い目などなど、時代のトレンドの影響があったと体感で感じます。

「JR乗車拒否」の伊是名さんでは、「当時」であれば正しい行動だった(私もそう思っていた)はずがしぼんでしまった。従業員の労働環境の方に関心が向かう。SNSとマスコミを駆使して発信できるのも今は「特権」と見られる。逆に今は性的マイノリティの発信には社会の共感と後押しがあると思う。

「川崎バス闘争」と私の生まれたのは近い。80年代バリアフリー法制進む。子どもながらに「成金日本人の罪悪感」という発信が多かった気がする。海外で醜態をさらして嫌われる日本人とか。エチオピア難民キャンペーンは80年代後半。