日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

介助者を6年やってみて(9) 「玄関に鍵をかけるか」問題 

 ITで、ある程度行けるんじゃないか、と思っている。自分はヘルパーで食っていて、何でも機械に置き換わったら困るし、それは無いと思いつつ、ある程度は行けるだろう。

 昭和の昔から、日本中の施設で、老人ホームで、誰からも好かれて一日中見守りしてくれる「働き者」はテレビだったりする。実家の両親には、食事中の保守系YouTuberがギンギンに脳に刺激を与えている。老化を防いでくれて感謝だ。ぼくらが要介護になったら「VRデイサービス」の直接脳や視覚に働きかける最先端デバイスは嫌って「指先で触れると温もりを感じる」と、骨董品のスマホを触っているんだろう。

 「利用者さんの住むところがキレイすぎるのも変ですよね?」グループホームの話をしていて、若い人から聞かれた。若者に同調したい気持ちと「引っ掛け問題かもしれない」という疑いがぶつかって即答できなかった。安全や衛生分野の「常識のライン」が狂っていることがあるので、うっかり本当のことを言うと引かれるかもしれない。

 もう何十年も「玄関の鍵をかけない人」だった。人に迷惑かけない一線はあるので、知人の家を間借りしたりシェアハウス的なところではちゃんとしていた。(はずだが、たまには抜けていたかも知れない)「あー鍵が見つからない時間がない!」というアクシデント的なものではなく、失うものと得られるものを計算した上で開けっ放しにした。

 例えば1泊以上の旅行ではかけていた。そのうち、何か事故があったときに知人等が「開けられない」リスクも計算して「3泊以上」に緩和した。廊下で隣人に出くわしたときはしていた。そのうち「ポストを見に来ただけ演技」を挟んでしなくなった。

 年に10回も鍵をかけてない、他人が絡まない住まいの時期では「生涯鍵掛け回数」は100回くらい。ある時、夜に仕事から帰るとドアが開かない。ドアノブを握った手のひらに汗がにじんできた。不法者に占拠されたか、大家さんに締め出されたと本気で思った。

 田舎育ちで鍵をかける習慣は希薄だ。初めて都会に出てきて、すぐに自転車を2台続けて盗まれた。警察で「鍵かけてない」と言ったら呆れられた。だんだん、大人として、人として「鍵はかけるもの」だと学んでいった。大学に入って、当時としては死ぬ覚悟でアジア旅行に出かけた、まさに出発の朝。帰ってこないかも知れない。掃除した。仕上げに、実家で旅行中にやっていたのを真似て「バルサン」を2つ焚いた。「地球の歩き方」だけ持って長い旅に出る。玄関を閉めて、再び戻ったときには「新しい自分」になっているはずだ。

 鍵がない。奥の部屋の机の上だ。さすがに5週間開けっ放しは無い。退けないが、進むもバルサンが充満している。いつもギリギリスケジュールなのですぐに出発しなければならない。潜水のつもりで息を吸って、バルサンの霧が薄い床スレスレを「ほふく前進」した。旅の最初から下痢したり熱が出たりしていたが、終盤に気管支炎のようになって、水も喉を通らない。咳き込むと痛くてのたうつので、じっと動かず慎重に呼吸しつつタイビールを飲み続けていた。泡のクッションのおかげでビールだけは飲めた。きっとバルサンのせいだ。もっと言えば鍵をかけようとしたからだ。

 なぜ40も過ぎて社会不適合のカミングアウトをしているかというと、ITの力で社会に適合したからだ。スマホで操作できる「スマートロック」のオートロック機能が自分の特性に合うようだ。以前から「スマート家電」は試していた。GPSで最寄り駅に着くと暖房がオンになるとか。ただ、自転車でコンビニに寄ったあと夜勤に入ったら暖房がオフ→オンになって丸一日付けっぱなしとかうまく行かなかった。ホテル式だとポストも見に行けない。「◯分後にロック」というのが人それぞれにある。そこに新たな「支援」が生まれるんじゃないかと思う。

介助者を6年やってみて(8) 施設職員列伝 

 昔の職場の「相談員」が、どうにも「いけ好かない」人で、相談員に偏見を持つようになった。当時は、個別給付の相談支援というものが無く、行政から広い区域ごとに委託されるだけだった。大きな法人の中のベテラン職員しかなれないエリート職だった。最新の制度の情報が入るし、役所の人より現場のことを知っている。威張りたい人がなればマウント取り放題。残念なことに、法人一の「マウンティング猿」氏がなってしまった。

 東日本大震災のときに「専門職派遣」として、そのマウント猿が被災地に何日か行った。職場の飲み会で「普通の支援者じゃなくて専門職として、一定のレベルがある人間として呼ばれた」と、聞いてないことを強調していた。当時は「すごいんだね」と受け取っていたけど、今考えると、こんな恥ずかしいこと普通じゃ言えない。どうかしてる。

 「キミたちには分からないだろうけど」という雰囲気を漂わせて有能さを演出していた猿氏だが、ふとした時に「福祉の仕事に行きついてしまった」という発作に襲われる就職氷河期世代にとっては「力を付ければ、専門職としてあんなドヤ顔ができるんだ」という「夢」を見せてくれた。

 最初の就職先だから印象が強くなるとはいえ、当時の上の人たちが忘れられない。魅力はないし好きでもないが「強さ」があった。小さな施設でも利用者と家族と職員の関係が濃いし、お互いの依存関係が複雑で、1つ動かすと影響が全体に及ぶ。そこは、小さくても大病院や大企業より面倒な面がある。やはり「剛腕」が必要なのだ、ぼくには無理だ。そして、濃縮されていただけで、どの福祉職にもある「業」のようなものなんだろう。

 施設長は「パワハラ番長」。そんなに強くは無いので番長クラスだけど、多忙で余裕がないと「辞めてもらっても構わない」とサラッと言ってしまう。一度「パワハラではないですか」と物申したら、取り乱して、奥から就業規則の紙を持ってきて「戒告処分」について長い講義が始まった。「男性棟の支援がなってない」という問題が持ち上がり、施設長自ら、基本的にアルバイトが入っている「遅番」をやって改善することになった。

 帰るまで数時間、ダメ出しと嫌味を聞き続けるのか。心底嫌だったが、始まるとそうでもなかった。利用者といるときは表情がまるで違った。褒めはしないがダメ出しは最小限だった。利用者さんも喜んでいた。昔は、楽しくて頼れる利用者の人気者だった。役職が上がり、法人理事長は飾りだったので、ほぼ法人代表として多忙にしていた。現場の改善という名目で、現場に入りたかったんじゃないかと思う。これでは憎めない。

 番長の裏の権力者が強烈なモラハラ大王だった。部下には明るくハキハキした人を採用するみたいだった。数ヶ月で表情が無くなり、1年も経つとメンタルクリニックに通っていると噂が立つ。部下だった以前の同期が辞めることになり「あの部署じゃ大変だったでしょ」と声をかけたら「あの人は悪くない、良くしてくれた、自分が悪い」と自分を責めながら辞めるところまでパーフェクトなサイコパスだった。

 良い所ゼロに見えるが、この法人で2人だけ尊敬する人のうちの1人でもある。有能なサイコパスなので、人を支配するのも含めて「事業」の立ち上げから運営まで上手だった。でも、こういう「強さ」が必須というのは良い事業・職業じゃないと思う。入所が無くなるといい、と思うのは福祉的な理由もあるけど「良い職業」になってほしいのもある。

介助者を6年やってみて(7) たこの木小学校「国語」 

 Y先輩による会議の案内メールがシンプルを極めていて「労力を使わない」ことへのストイックさを感じた。小学生のころの「漢字ドリル」を思い出した。部首と作りを分割して書いた。「頭」だったら豆豆豆豆、頁頁頁頁。ただ速く書くのだと、それなりに頭を使うので分解した。そんな、好きじゃなかった「国語」を、今たこの木で学んでいる。

 日本では精神科の長期入院、入所施設の入所数が多すぎる。でも、地域で支えられない「大変な人」がいるから。そう話す人の「大変な人」は、実際よりかなり多く見積もられている気がする。実際の「大変な人」は数%か多くても1割という実感だけど、それはなかなか伝わらない。大変でもない、逆に24時間テレビに出るような「キラキラ」してもない大多数の人たちは目立たない。いつまでも「ズレ」が埋まらない。一番大事なところ、一番大きなボリュームのところが見えない。

 自閉症の様々な分類が「自閉症スペクトラム症」に統一された。高機能とか、何とか型と区切ると連続した全体像が見えなくなる。これはいいよ。何かと分派対立しがちな我らがリベラル民には「自由主義スペクトラム」が必要かもしれない。調べて面白かったのが、医療的には「分類したい圧」もあって、 “ICD-11” の改定案では、「自閉スペクトラム症、知的発達症を伴う、かつ機能的言語の不全がない、または軽度の不全を伴う」という新病名(組み合わせで+5,6個)が提案されてる。シンプルにまとめた後の「反動」がすごい。何かを的確に表しつつ、ちゃんと伝わる言葉は難しい。

 「たこの木は遠くの人からは良いんだけど、近く(スタッフ)の評判悪いんだよね」と、岩橋さんが話す『現象』について。距離が近くなると「こんな人だったっけ?」と見方が変わってしまうことが、岩橋さん相手だけでなく何度かあった。自分が勝手に幻想を描いていたのか、と頭を抱えることもあった。最近になって、これは支援の話でも、岩橋さんの話でもなく「国語」の時間だな、と思うようになった。離れて見ていると最終的な結果や発言しか見えない。多くの部分は見えないし見えてなくていい。その人のことを知っていれば好意的に「補完」して理解する。誤解も生むけど、それ以上に、小さなアイデアが一気に広がって社会を動かすこともある。使いようだと思う。

 たこの木らしいアイデアは、安易な方に流れない、強い信念を持っていると感じる。離れて見れば。凡人であれば、たくさんの利害関係や矛盾を前に気持ちが揺らいでしまうところを「あえて」厳しい道を選択している。ように見える。寄って見ても「たこの木流」の魅力は変わらない、けど「あえて」そうしてないことが分かってしまった。「利害関係や矛盾」は元々眼中になさそうだ。それが見えない分厚い装甲つきの戦車で、近くのものを踏み潰しながら突き進んでいる。

 「運動は引き継がれるのか」というテーマにも繋がると思う。かつての運動のリーダー達の活動は「間接的」に社会を動かしていたのではないか。姿の見えない大きなボリュームを持つ人たちが、リーダー達の言葉を自分の「望みや痛み」に重ねて、好意的に「補完」したからこそ社会が動いた。望みや痛みは時代や属性で変わる。ささいな違いに見えるけど、「直接」社会を動かしたのであれば数十年前と同じやり方を今もすることになる。間接的にしか働きかけられないとなれば、やり方も使う言葉も変わっていい。

介助者を6年やってみて(6)もち問答・おせち問答

 Nさんは「昭和の男」だ。季節の行事や性的分業を大切にする。夕食の時、2人でテレビを観ながらニュースに注文をつけ始める。「実家感」があって嫌いではない。「女性だけが子育てをする時代じゃないとか言うけどね、おれは違うと思うね。お母さんが子どもを育てる、それは、当たり前!」ここの読点1つに5秒くらい「タメ」がある。そういう自分は四肢麻痺で、かつての男性の役割を1mmも果たしていない。その代わりに若い介助者たちへ「啓蒙活動」に励んでいる。

 年末は「もち問答」が恒例行事である。「もちによる窒息に注意を」Nさん「危ないから小さくしろだ、柔らかくしろだ、そんなのダメだね。食った気にならねえよ」危険を承知で危ない橋を渡るのが男。一方で、自分が入った現場の中で1番というくらい介助者に優しい。「実家が太い」人でもあるので床暖房が付いている。甘いしユルいし、待機は快適。「男の甲斐性」「身内への散財は美徳」の恩恵を介助者はたっぷり受けている。なんだかんだで愛されている。

 いつもは聞き流していたけどそうもいかない。「ちょっと待った。もちの話は今日は止めましょう」手で制止するジェスチャー付き。「先週、叔父さんがもちを詰まらせて死んでるんで」。謝罪っぽいことは最後までなかったけど、「えー?!うーん・・先週・・リアルすぎるー」かなり取り乱していた。自身の信条と、個々の関係は別物のようだ。信条は曲げられない。けどそのままにできないので、次回裕福な実家の伝統「うにバターもち」を振る舞ってくれることになった。

 ツイッターで話題になっていた「Z世代」との、親子おせち問答。「新しい世代は価値観がアップデートされてる」という意見もあれば、「昔の人の願いを理解してほしい」という子への苦言も出ていた。書いた父親は、プチ炎上に驚いて「実際はもっと深いやり取りがあったが自分が切り取ってしまった」と謝罪のツイートをしている。

父「エビは腰が曲がるまで、数の子は子沢山、伊達巻きは知恵がつくように…」

子「長生きしろ、子ども産め、賢くなれ…それってもう呪いだよね」

父「いや、呪いというか願いが…」

子「決めつけはよくないと思う。価値観は人それぞれだよ」

 

これがZ世代…

 父親の狙いどおり脊椎反射的に反論したくなった。老人だけ、女性だけ、学齢期の子どもだけに食べさせたら印象は悪い。でも関係なく食べる。その時代では、現状維持では苦しいから、自分と身内の生活が少しでも向上するように、という願いだのにね。

 冷静になると「そうか時代が違うのか」。今なら何だろう。エビは「老後の安心」老後資金が貯まりますように。数の子は年金と同じだろう。最近では加えて「孤独死しない」支え合う友人がいて、見守りITサポートが充実しますように。伊達巻は、振り込め詐欺に遭わないよう使いやすい権利擁護制度ができますように。

介助者を6年やってみて(5)自立生活は最悪の支援形態である by チャーチル

 なぜ、介助者と当事者は「1対1」なのかを考える。入所施設や病院のような「多対多」はだめ、グループホームのような「支援者1に対して利用者複数」というのも管理的になるから良くない。やっぱり「1対1」が良いんだ。CILの本にも書いてある。そういう自立生活の原則があると思う。もう一つ、この話の前提としたいのが「介助者が孤立ぎみ」ということ。入所施設で働いた後、ヘルパーになって一番身にしみたのは、何かトラブったときの「孤立無援」感だった。

 介助者を始めてすぐに、公園で騒いでいたのを通報されて事情聴取された。警察沙汰は初めてだったけど、警官は意外と無茶は言わないんだと思った。それでも、その場は1人でしのがないといけない。デパートで大立ち回りを演じた、未だに残るトラウマ体験のときは「周囲が全部敵。味方ゼロ」という絶望感だった。先輩に電話でSOSを求めたら「大変だけど頑張ってください!」と励ましだけもらった。施設のときは感じなかった。地域という荒波なのか、荒野なのか、そこに当事者と2人ポツンと取り残されたようだった。

 施設職員も大変なことはあった。ナマキズが耐えないのは、近年評判の悪いホモソーシャル文化で乗り切れた。でも、深夜に逃げ出した若い利用者を追っかけたときは辛かった。パジャマ姿の女の子の後ろを追っかけて「寒いから帰ろうよー(泣)」と声をかけながら歩くのは、変質者そのもので、心が折れた。今でも寒い時期になると思い出す。それでも、電話すれば頼もしい女性職員が車を飛ばして救援に来てくれた。旧き福祉の伝統、サービス休日深夜出勤でした。

 なぜ「1対1」か。そりゃ手厚い方がいいに決まっている。では、逆に「手厚すぎたら」どうなるか。外出時などに「2人介助」を付けている人がいて、支援チームで議論になった。我らが岩橋さんは「2人は本人にとって重荷。1人が望ましい」という主張だった(すごくざっくりの要約です)。疑問・反論がドドッと浮かんだけど、どこか腑に落ちる感じもあった。岩橋さんの「野生」の感性が言わせることなので、何か意味があるのかも知れない。

 ダメな人が2人集まってしまうと、1人では対抗できない。逆に、ダメと言われる集団処遇でも、理念と実践を兼ね備えた優秀なスタッフが揃えば良い感じになる。でもその確率は低い。どんなダメな人が混ざり込んでも、本人の自由と健全な生活への「被害」が最小になるのが「1対1」なのかも知れない。それに加えて、介助者だけが守られることが少ない。当事者と同じように、地域から孤立しがちで、たまに溶け込むこともある。リングに上がった格闘家同士、という映像が浮かびます。必ず1対1で、武器は持ち込まず、セコンドはリングに上がれない。(おかしい?)

 ダメな人って私自身のことでもある。「自由な」事業所ばかりで何年もやっていたら(自分のせいですが)書けないけど本当にグズグズになった。自立生活の現場には、いい意味で多様な人材が来る。福祉の人だけよりずっと良い。けど利用者にすれば「ガチャ」みたいなものだろう。ダメな人が複数集まると地獄。「性悪説」で考えたらやっぱり「1対1で、一緒に孤立」が良いと思う。

 最近、若い人に当事者を紹介して「グループホームでは大変だったけど、一人暮らしになって楽しそう」という定番の話をしたら、途中すごく嫌な顔をしていた。グループホームでの大変な暮らしが自分には日常だったけど、一般的には虐待に近いって、そこで気づいた。そう性悪説です。

 結局「民主主義」の話をしている気がする。取っつきにくいのも、そのせいかも知れない。「なるようにしかならない」ものだから。有名なチャーチル英首相の演説をもじってみた。

自立生活は最悪の支援形態と言うことが出来る。

これまでに試みられてきた自立生活以外のあらゆる支援形態を除けば、だが。

 

介助者を6年やってみて(4) ねずみ考:介助者たちは元気か

 見つけたときはね、ついにやった!みな○ろしだ!と盛り上がったけど、みるみる気持ちが沈んでいった。おっさんの気力・体力は、気づかないうちに限界を超えてしまう。仲間のおじさんヘルパーたちの身体は大丈夫だろうか?

 半農・半ヘルパーのS山さんから頂いた枝豆を茹でることにした。台所の下に塩がある。たまにしか開けないのでバリバリとはがすような音がする。不用意に手を突っ込むと面倒なことになるので、のぞいて確認する。紫色の「毒エサ」を中心に、粘着シートが立体的に組み立てられている。ダンボール箱の広い平面に大きいのを一枚。やつらは、狭いところや壁沿いを走るので、シートを細く割って「廊下」にする。その下の空間に逃げ込めば、天井以外3面が粘着シートで囲まれた「トンネル」に誘導される。コンロ下の収納は要塞化されたいた。

 ネズミ害は心身ともにこたえる。駆除のプロの情報を調べても地道な作戦しかない。粘着シートを敷き詰める「物量作戦」と「侵入口」を潰すくらいだ。賃貸の住人は最初から劣勢だ。相手は、天井裏に壁の中を自由に移動できるのに、人間は、建物の周囲をうろついて這いつくばって基礎部分を覗き込んでいたら通報される。

 1匹見えた。毒エサの手前で、ちゃんと釣られてくれた。トンネルにも何か見える。戦果は3匹なのか「2.5匹」と書けばいいのか。隣り合って貼り付いていた2匹は、暗闇の中でパニックになって引っかきあったのか、かじったのか、体の一部が削れて無くなっていた。

 ネズミは「災いの兆し」だった。3年前に不注意で大ケガした。その直前にネズミが大発生していた。日に日に自分の生活圏の中に入り込んできた。夜間に天井裏を走っていたのが、室内の食品もあさるようになり、最後は、昼間から目の前を走るようになった。

 今思えば、生活が荒んでいた。その年はよく働いた。仕事に慣れてサボり方も分かってきて仕事を詰めていった。月に300時間以上、多い月は375時間というのもあった。ついに1週間で110時間という記録を達成した。まさに、その日の帰宅途中に事故って1ヶ月入院した。1週間は168時間しかないのに。おかしくなってるのに、自分では気づかないもので、自分の体よりネズミの心配をしていた。「仕事を詰めても意外と平気だな」と思っていた。

 ケガする1ヶ月前の夜、ネズミたちが総攻撃をかけてきた。深夜3時ごろ、目が覚めると部屋の中で何かをかじる音がする。少し離れている。天井裏を別のが走り抜けた。「いつもの活動か」と思って寝ようとしたら、至近距離からカチカチと耳慣れない音がした。手を伸ばせば届く机の上にいる。見えない。ライトをつける動作で逃げるだろう。断続的に数分間は歯を鳴らしていた。カチカチと歯を鳴らす。やはり人間に近づきすぎて怯えるんだろうか。遠慮ない彼らも、生きるためにリスクを負って踏み込んでいるのかもしれない。

 『歯をカチカチ言わせるのは興奮している時』布団の中でゴソゴソとスマホを触っていた。ネズミの生態についての記事を見つけて、同じ画面でアマゾンに飛んで、業務用の粘着シートと毒エサを大量に購入した。要は、相手はノリノリだったわけだ。住人の寝息が聞こえる距離まで近づいても余裕だった。部屋を乗っ取られる寸前だった。その日からネズミ退治が日課になった。

 仕事では「セルフチェック」できているつもりだった。忙しいけど少ないけど睡眠は取れているし落ち込むこともない。「意外とやれるもんだ」と余裕も感じていた。気になることと言えば、利用者の言動だった。指示や意見に納得できないことが増えていた。仕事に慣れて冷静に判断できるようになった、もしくは労働者としての権利意識が育ったんだと解釈していた。顔に出さないように、心の中で口汚く罵りまくっていた。それだけが嫌で、現場を減らすことも考えた。今思えば限界だった。名前が浮かぶ、あの人もこの人も、実は限界かも知れないよ。無理しないでください。

介助者を6年やってみて(3)「誤解」

 ある会議で「運転中の給付」の話題になった。今年の法改正で緩和されたそうだ。「運転中は介護できないから無報酬」という、頑なな厚労省に対しての運動が実った。ただし、原則「利用者所有の車」についてなので、身近な所では関係なさそうだ。それにしても、当事者の生活と「実態」に合わない基準をずっと残していたのはなぜなのか。もしかして、「グレーな運用」を強いておいて、交渉のときに「おたくのヘルパーさん車に乗せてるってね」と揺さぶるためだったりして。

 

 それも無いことはないだろうけど、初めのころに制度を「悪用」した人たちがいたようだ。

 介護保険が始まると、身体介護で通院が認められ、タクシー会社が運転手に2級資格を取らせ、身体介護(1時間4000円)を使って老人を運賃無料で通院させるということが起きました。この利用者には歩けるくらいの軽度の老人も多かった。この結果、厚労省老健局は運転中は介護を行ってないので介護サービスの対象でないことを決め通知します。                       【全国障害者介護制度情報より】

 介護保険以前の、福祉職といえば「ボランティア精神」の時代の人たちと、大金が動くようになって入ってきた「ビジネスに強い」人たちがいる。どちらも得手不得手があって良いとか悪いとかはない。ビジネスの人の中の「ギリギリを攻める」勢力が「悪用」して、行政がルールを厳しく複雑に変えてしまう。ビジネスの人は、損切りしてさっさと撤退して跡形もない。

 

 それが、いつのまにか「運動VS行政」や「市民VS権力」みたいになって、お互い消耗しているように見えることがある。もちろん行政や権力側も、公務員がやるより民間に最低限の費用で好きにやらせたほうが安く済むので、少々の不正は織り込み済みだろう。締め付ける口実に使っている気もする。まあ行政の人を気の毒に思うこともある。悪どい連中から福祉の財源を守ろうとしていたら、プラカードを持った人たちに囲まれて怒られる。

 

 ガンダム警察が怖いので書こうか迷った。怖いけど書きます。ガンダムに、上の話と似た「対立の虚しさ・哀しさ」を感じました。30年くらい勘違いしていましたが、ガンダムは「宇宙戦争」というスケールでもなく「太陽系」でもなく「地球系戦争」なんですね。月の軌道の中だけ。戦っている勢力の双方に同じ兵器メーカーがモビルスーツを卸していたりする。銃やミサイルとかなら現代でもあるかもしれないけど最新鋭のモビルスーツを両方に売ってる。

 

 ガンダムは「正義VS悪の単純な構図を否定した」と言われるけど、モビルスーツを作っている軍需産業が一番悪い。対立が続けば永遠に儲かる。かっこいいセリフを吐いて華々しく散っていく主人公たち、しっかり「生産計画」に組み込まれてる感じがして冷めてしまった(この辺の複雑な事情の設定もあるようなので個人の印象です)。逆に現代の究極のリアリティかもしれない。

 

 「善意による誤解」のパターンもあると思う。「濃厚接触者の定義」昨年の春ごろ、調べるたびに「ゆるく」なっていって最後はこれになった。【マスク無しで1.5m以内に15分以上いた場合】「医療福祉の現場に配慮してくれた!」と感じた。でも「こんなザル基準にして、検査&追跡する気がないんだな」と言う人もいる。【密室・車内に長時間】という基準と組み合わせると、家庭や店内は補足しつつ介護現場などは外れるように作られてる。真相はわからないけど。

 

 施設と地域生活支援、グループホームと自立生活、支援者と親、ボランティア寄りの介助者と「仕事で来てる」介助者、、たこの木代表とスタッフ(笑)、、架空の敵と戦わされている、なんて感じることもある。シロクロ付けた方が見やすいので「議論の手段」として敵認定するのはあると思う。でも、それでお互い消耗して、本当の原因やワルが儲かってウハウハしていると思うともったいないと思う。