日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

あらばしり(13)by あ(題字 by あ)

 4月に3回目のワクチンの予約をしようとしたら先に感染・発症してタイミングを逃した。都心の方に行くことがあったので、ついでに、今さらだけど丸の内の接種会場に打ちに行った。帰りに近くの「信託博物館」に寄った。小さな博物館だけど楽しめた。一番身近な信託は「遺言」で、「有名人の遺言を調べてみよう」コーナーがある。莫大な遺産をペットに残して、ペットが死んだら残りは寄付するとか。アインシュタインは秘書の女性に大半を譲ったと知って、ゴシップネタを期待して、その場でスマホで検索をかける(遺族が否定していた)。

 割と何でも楽しめる。知識も深い理解も無いけど、さらっとウワベを楽しむことは得意だと思う。池袋のはずれに研修か何かで行ったときに、大名屋敷跡だという公園に博物館を見つけた。その「永青文庫」は「和」の展示が中心だった。自分が行った時期は8割方「書」だった。努力してみたけど全く刃が立たなかった。文字関係は分からない。休んで再トライしようとレトロなソファでスマホをいじった後、諦めて帰った。

 昔から字が汚くて、汚すぎて小学校の全員が応募する市の作品展で硬筆の佳作(誰でも取れる)をもらったら特選の子よりも褒められた。先生は「奇跡が起きた」と思ったんだろう。大学時代は「もうこれで一生字を書かなくてよくなる!」と思って「激打!北斗の拳」とかで猛練習した。基本「かな入力」で、まあまあ速く打てるようになった。

 最近、刑事事件を起こした人の支援を始めた(と言っても1件だけ)。その20代の青年にもらった手紙が達筆だった。「◯◯な人なのに達筆」だと偏見が入ってしまうので説明は控えめに。そりゃ多少はステレオタイプで観ちゃうけどね。20代で、仕事も犯罪行為も反社会的なことをしてきた男子なら、自分と同じくらいに字が汚いものであろう。

 生まれて初めて「拝啓」から始まる手紙を受け取った。季節の挨拶もあった。本題が終わると、軽めの近況報告があって「敬具 氏名」で終わった。「B罫」レポート用紙に4,5枚びっしりと1文字の訂正もなく整った字が並んでいた。圧倒された。「字に人柄が出る」というというのは印象より、もっとフィジカルなものだと思う。1ページ間違えずに書き通す集中力と、小さな字は指先まで神経が通ってないと書けない。目から入る情報と指先の筋肉が連携していて、姿勢も良くて。

 季節の挨拶なんか「形式」でしかないけど、年を取ると、こういうのに弱い。実際、日常会話でも「本題」の前には無意識に雑談を入れて心の準備をするので不自然ではない。数日前に、自分が差し入れに添えた走り書きのメモを思い出して猛烈に恥ずかしくなった。捨ててくれ。。

 モンティッソーリ教育の「敏感期」。未使用分野はおじさんになって発動するのかもしれない。暇さえあれば、ずっと「ひらがな(いろは歌)」を書いていた。YouTubeにペン字の先生がたくさんいますが、僕が好きなのは「長谷川悠貴」さん。素人が見るとバランスが崩れる寸前みたいな字で楽しい。なぜか「いいね0」ばっかりなので宣伝したい(リアルがメインの活動なんだろう)。

 試しに両親に誕生日や結婚記念日で何通か手書きしたら、かなりの反響だった。親の年齢だと効果は何倍にもなって「不肖の息子がまともに見える」ようだ。字は多少マシになっただけで下手だけど効果は上々だ。こんな安上がりな自己投資はない。ちなみに「ジェルインク」に変えるだけで5割うまく見える。

 次は、支援中の彼の家族に手紙を書こうと思う。絶縁されているが、本人の関係修復の思いは強い。手紙の書き方から厳しく叩き込んだ「教育と躾」に厳格な親御さんらしく、あまり気は進まない(怖い)が、ここに書いた勢いでやってみます。(タイトルは本文と関係ありません)