日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

介助者を6年やってみて(5)自立生活は最悪の支援形態である by チャーチル

 なぜ、介助者と当事者は「1対1」なのかを考える。入所施設や病院のような「多対多」はだめ、グループホームのような「支援者1に対して利用者複数」というのも管理的になるから良くない。やっぱり「1対1」が良いんだ。CILの本にも書いてある。そういう自立生活の原則があると思う。もう一つ、この話の前提としたいのが「介助者が孤立ぎみ」ということ。入所施設で働いた後、ヘルパーになって一番身にしみたのは、何かトラブったときの「孤立無援」感だった。

 介助者を始めてすぐに、公園で騒いでいたのを通報されて事情聴取された。警察沙汰は初めてだったけど、警官は意外と無茶は言わないんだと思った。それでも、その場は1人でしのがないといけない。デパートで大立ち回りを演じた、未だに残るトラウマ体験のときは「周囲が全部敵。味方ゼロ」という絶望感だった。先輩に電話でSOSを求めたら「大変だけど頑張ってください!」と励ましだけもらった。施設のときは感じなかった。地域という荒波なのか、荒野なのか、そこに当事者と2人ポツンと取り残されたようだった。

 施設職員も大変なことはあった。ナマキズが耐えないのは、近年評判の悪いホモソーシャル文化で乗り切れた。でも、深夜に逃げ出した若い利用者を追っかけたときは辛かった。パジャマ姿の女の子の後ろを追っかけて「寒いから帰ろうよー(泣)」と声をかけながら歩くのは、変質者そのもので、心が折れた。今でも寒い時期になると思い出す。それでも、電話すれば頼もしい女性職員が車を飛ばして救援に来てくれた。旧き福祉の伝統、サービス休日深夜出勤でした。

 なぜ「1対1」か。そりゃ手厚い方がいいに決まっている。では、逆に「手厚すぎたら」どうなるか。外出時などに「2人介助」を付けている人がいて、支援チームで議論になった。我らが岩橋さんは「2人は本人にとって重荷。1人が望ましい」という主張だった(すごくざっくりの要約です)。疑問・反論がドドッと浮かんだけど、どこか腑に落ちる感じもあった。岩橋さんの「野生」の感性が言わせることなので、何か意味があるのかも知れない。

 ダメな人が2人集まってしまうと、1人では対抗できない。逆に、ダメと言われる集団処遇でも、理念と実践を兼ね備えた優秀なスタッフが揃えば良い感じになる。でもその確率は低い。どんなダメな人が混ざり込んでも、本人の自由と健全な生活への「被害」が最小になるのが「1対1」なのかも知れない。それに加えて、介助者だけが守られることが少ない。当事者と同じように、地域から孤立しがちで、たまに溶け込むこともある。リングに上がった格闘家同士、という映像が浮かびます。必ず1対1で、武器は持ち込まず、セコンドはリングに上がれない。(おかしい?)

 ダメな人って私自身のことでもある。「自由な」事業所ばかりで何年もやっていたら(自分のせいですが)書けないけど本当にグズグズになった。自立生活の現場には、いい意味で多様な人材が来る。福祉の人だけよりずっと良い。けど利用者にすれば「ガチャ」みたいなものだろう。ダメな人が複数集まると地獄。「性悪説」で考えたらやっぱり「1対1で、一緒に孤立」が良いと思う。

 最近、若い人に当事者を紹介して「グループホームでは大変だったけど、一人暮らしになって楽しそう」という定番の話をしたら、途中すごく嫌な顔をしていた。グループホームでの大変な暮らしが自分には日常だったけど、一般的には虐待に近いって、そこで気づいた。そう性悪説です。

 結局「民主主義」の話をしている気がする。取っつきにくいのも、そのせいかも知れない。「なるようにしかならない」ものだから。有名なチャーチル英首相の演説をもじってみた。

自立生活は最悪の支援形態と言うことが出来る。

これまでに試みられてきた自立生活以外のあらゆる支援形態を除けば、だが。