日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

介助者を6年やってみて(9) 「玄関に鍵をかけるか」問題 

 ITで、ある程度行けるんじゃないか、と思っている。自分はヘルパーで食っていて、何でも機械に置き換わったら困るし、それは無いと思いつつ、ある程度は行けるだろう。

 昭和の昔から、日本中の施設で、老人ホームで、誰からも好かれて一日中見守りしてくれる「働き者」はテレビだったりする。実家の両親には、食事中の保守系YouTuberがギンギンに脳に刺激を与えている。老化を防いでくれて感謝だ。ぼくらが要介護になったら「VRデイサービス」の直接脳や視覚に働きかける最先端デバイスは嫌って「指先で触れると温もりを感じる」と、骨董品のスマホを触っているんだろう。

 「利用者さんの住むところがキレイすぎるのも変ですよね?」グループホームの話をしていて、若い人から聞かれた。若者に同調したい気持ちと「引っ掛け問題かもしれない」という疑いがぶつかって即答できなかった。安全や衛生分野の「常識のライン」が狂っていることがあるので、うっかり本当のことを言うと引かれるかもしれない。

 もう何十年も「玄関の鍵をかけない人」だった。人に迷惑かけない一線はあるので、知人の家を間借りしたりシェアハウス的なところではちゃんとしていた。(はずだが、たまには抜けていたかも知れない)「あー鍵が見つからない時間がない!」というアクシデント的なものではなく、失うものと得られるものを計算した上で開けっ放しにした。

 例えば1泊以上の旅行ではかけていた。そのうち、何か事故があったときに知人等が「開けられない」リスクも計算して「3泊以上」に緩和した。廊下で隣人に出くわしたときはしていた。そのうち「ポストを見に来ただけ演技」を挟んでしなくなった。

 年に10回も鍵をかけてない、他人が絡まない住まいの時期では「生涯鍵掛け回数」は100回くらい。ある時、夜に仕事から帰るとドアが開かない。ドアノブを握った手のひらに汗がにじんできた。不法者に占拠されたか、大家さんに締め出されたと本気で思った。

 田舎育ちで鍵をかける習慣は希薄だ。初めて都会に出てきて、すぐに自転車を2台続けて盗まれた。警察で「鍵かけてない」と言ったら呆れられた。だんだん、大人として、人として「鍵はかけるもの」だと学んでいった。大学に入って、当時としては死ぬ覚悟でアジア旅行に出かけた、まさに出発の朝。帰ってこないかも知れない。掃除した。仕上げに、実家で旅行中にやっていたのを真似て「バルサン」を2つ焚いた。「地球の歩き方」だけ持って長い旅に出る。玄関を閉めて、再び戻ったときには「新しい自分」になっているはずだ。

 鍵がない。奥の部屋の机の上だ。さすがに5週間開けっ放しは無い。退けないが、進むもバルサンが充満している。いつもギリギリスケジュールなのですぐに出発しなければならない。潜水のつもりで息を吸って、バルサンの霧が薄い床スレスレを「ほふく前進」した。旅の最初から下痢したり熱が出たりしていたが、終盤に気管支炎のようになって、水も喉を通らない。咳き込むと痛くてのたうつので、じっと動かず慎重に呼吸しつつタイビールを飲み続けていた。泡のクッションのおかげでビールだけは飲めた。きっとバルサンのせいだ。もっと言えば鍵をかけようとしたからだ。

 なぜ40も過ぎて社会不適合のカミングアウトをしているかというと、ITの力で社会に適合したからだ。スマホで操作できる「スマートロック」のオートロック機能が自分の特性に合うようだ。以前から「スマート家電」は試していた。GPSで最寄り駅に着くと暖房がオンになるとか。ただ、自転車でコンビニに寄ったあと夜勤に入ったら暖房がオフ→オンになって丸一日付けっぱなしとかうまく行かなかった。ホテル式だとポストも見に行けない。「◯分後にロック」というのが人それぞれにある。そこに新たな「支援」が生まれるんじゃないかと思う。