日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

介助者を6年やってみて(4) ねずみ考:介助者たちは元気か

 見つけたときはね、ついにやった!みな○ろしだ!と盛り上がったけど、みるみる気持ちが沈んでいった。おっさんの気力・体力は、気づかないうちに限界を超えてしまう。仲間のおじさんヘルパーたちの身体は大丈夫だろうか?

 半農・半ヘルパーのS山さんから頂いた枝豆を茹でることにした。台所の下に塩がある。たまにしか開けないのでバリバリとはがすような音がする。不用意に手を突っ込むと面倒なことになるので、のぞいて確認する。紫色の「毒エサ」を中心に、粘着シートが立体的に組み立てられている。ダンボール箱の広い平面に大きいのを一枚。やつらは、狭いところや壁沿いを走るので、シートを細く割って「廊下」にする。その下の空間に逃げ込めば、天井以外3面が粘着シートで囲まれた「トンネル」に誘導される。コンロ下の収納は要塞化されたいた。

 ネズミ害は心身ともにこたえる。駆除のプロの情報を調べても地道な作戦しかない。粘着シートを敷き詰める「物量作戦」と「侵入口」を潰すくらいだ。賃貸の住人は最初から劣勢だ。相手は、天井裏に壁の中を自由に移動できるのに、人間は、建物の周囲をうろついて這いつくばって基礎部分を覗き込んでいたら通報される。

 1匹見えた。毒エサの手前で、ちゃんと釣られてくれた。トンネルにも何か見える。戦果は3匹なのか「2.5匹」と書けばいいのか。隣り合って貼り付いていた2匹は、暗闇の中でパニックになって引っかきあったのか、かじったのか、体の一部が削れて無くなっていた。

 ネズミは「災いの兆し」だった。3年前に不注意で大ケガした。その直前にネズミが大発生していた。日に日に自分の生活圏の中に入り込んできた。夜間に天井裏を走っていたのが、室内の食品もあさるようになり、最後は、昼間から目の前を走るようになった。

 今思えば、生活が荒んでいた。その年はよく働いた。仕事に慣れてサボり方も分かってきて仕事を詰めていった。月に300時間以上、多い月は375時間というのもあった。ついに1週間で110時間という記録を達成した。まさに、その日の帰宅途中に事故って1ヶ月入院した。1週間は168時間しかないのに。おかしくなってるのに、自分では気づかないもので、自分の体よりネズミの心配をしていた。「仕事を詰めても意外と平気だな」と思っていた。

 ケガする1ヶ月前の夜、ネズミたちが総攻撃をかけてきた。深夜3時ごろ、目が覚めると部屋の中で何かをかじる音がする。少し離れている。天井裏を別のが走り抜けた。「いつもの活動か」と思って寝ようとしたら、至近距離からカチカチと耳慣れない音がした。手を伸ばせば届く机の上にいる。見えない。ライトをつける動作で逃げるだろう。断続的に数分間は歯を鳴らしていた。カチカチと歯を鳴らす。やはり人間に近づきすぎて怯えるんだろうか。遠慮ない彼らも、生きるためにリスクを負って踏み込んでいるのかもしれない。

 『歯をカチカチ言わせるのは興奮している時』布団の中でゴソゴソとスマホを触っていた。ネズミの生態についての記事を見つけて、同じ画面でアマゾンに飛んで、業務用の粘着シートと毒エサを大量に購入した。要は、相手はノリノリだったわけだ。住人の寝息が聞こえる距離まで近づいても余裕だった。部屋を乗っ取られる寸前だった。その日からネズミ退治が日課になった。

 仕事では「セルフチェック」できているつもりだった。忙しいけど少ないけど睡眠は取れているし落ち込むこともない。「意外とやれるもんだ」と余裕も感じていた。気になることと言えば、利用者の言動だった。指示や意見に納得できないことが増えていた。仕事に慣れて冷静に判断できるようになった、もしくは労働者としての権利意識が育ったんだと解釈していた。顔に出さないように、心の中で口汚く罵りまくっていた。それだけが嫌で、現場を減らすことも考えた。今思えば限界だった。名前が浮かぶ、あの人もこの人も、実は限界かも知れないよ。無理しないでください。