日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

御岳登山記(5)・沼に沈む

「一の池」という火口跡の茶碗のフチを歩く。相変わらず視界は真っ白だ。風もなく、角のとがった石が積み重なった道を歩く自分の足音しか聞こえない。「三十六童子おはちめぐり」という場所で、道沿いの岩に人の形を彫ってある。こういう霊的な場所がスカッと晴れていてもつまらない、と自分に言い聞かせている。言い聞かせつつ、長くは持たないと思っている。感覚遮断じゃないけど、目の前真っ白ってのは精神的に良くない。

三十六童子おはちめぐり

突然ガスが切れ、誘われるように池に下ると・・

1時間弱尾根沿いに歩いて、山すそからの風が強くなったと思っていると、不意にガスが切れた。名古屋あたりまで一望、とはいかず、山すそがちょっと見えて雲に隠れ、その雲が1万メートルとか見上げるような高さにまで立ち上がっている。白の割合はそう減ってないが、距離感が分かると世界が広がったように感じる。「目が見えるようになった」感覚。茶碗の中を振り返ると底が見えた。もう池は水を溜めていないが、雪解け水が小川を作っている。なだらかな雪渓は僕にも歩けそうだ。霧が晴れるタイミングといい、僕に「行ってみよ」ということか。

雪渓の切れ目が浮き上がっている

氷河みたいだ

雪渓の先端部では絶えず解けた水が湧き出して、それが流れを作りはじめている。土の下で氷に閉じ込められていた空気が、泡になってプクプク音をたてる。再び霧が出て、黒い土を流れる水と雪と霧、2色を塗り分ける線上に立っている。白と黒は反応して泡を発生するらしい。

感傷にひたる人

そんな甘くはない

↑などと感傷的になって、「池」の中心に向かって突き進んだ。泡が浮いてくるくらいだから土の中はスカスカになっていて、その上に水が流れている。やわらかい地面は避けて、大きな石の上を飛び石のように踏んで行く。見た目はコブシ大の石が敷かれた快適なハイキングコースだが、中身は砂利と空気がスポンジ状になった底なし沼だった。

サッカーボール大の大石でも、足を乗せるとゴボゴボ泡を吐いて沈み始めるようになった。やばい。足をぬらすのは良くない。振り返ると、帰り道の「橋」はあらかた自分の体重により沈没している。振り返る間も、乗った石ごと徐々に沈んでいく。約30メートルの脱出ルートに望みをかけるが、半分のところにあったバスケットボール大の岩が半回転し右足首まで泥に刺さった。とっさに置いた左足も場所が悪く沈み始める。慌ててとりあえず抜いた右足の行き場はなく、空中で一瞬迷ったのち突入。膝まで入った。

どうにか岸までたどりつくが、空気が薄いのと重くなった靴のせいでしばらく動けず。