日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

メンテナンス主義で(3) ギブ 運動 ア チャンス 

 タイトル『みんなで語る「燃えない」女性支援』というオンラインイベントを視聴した。この時期、とても「香ばしい」お題だ。火薬の匂いがする。障害者の「性介護」や性産業従事者の支援をしている「ホワイトハンズ」が主催。見つけたときは「やっぱり東京はすごい」と思った。東京には、プレゼンスキルの高い人たちがたくさんいて、難しいテーマもモノともせず日々議論しているイメージがあった。そういう議論に接するのも東京に出てきた理由の一つだった。今回のテーマは、主にネットで話題の「コラボVS暇空茜」のバトルについて。きっと、どっち側でもなく俯瞰して「これからの社会運動」を考えるんだろう、と期待していた。結果としては、支援団体同士の内ゲバや確執、各時代の抗争の歴史を振り返る「週刊実話・女性支援」みたいな感じになった。面白かったけど、期待したのとは違った。〜これからは「運動」から「支援=ソーシャルワーク」へ〜と、話をまとめようとしていた。それこそ運動の人から「権力に取り込まれるゥ!」とツっこまれるところだ。「これまで通り」で残念だった。 

   たこの木にいて、岩橋さんに文句を言いつつも「今の時代こそ運動の姿勢は必要」という気持ちが強くなっている。でも今のままだと「次のコラボ問題」が幾つも出てきて、直接関係ない市民運動が敬遠されてしまう気がしてる(コラボ案件については、双方について一部勝ってほしいし一部負けてほしい)。自分なりの運動の定義は「出来上がったしくみの【外】から問題提起する」こと。外にいる人でもいいし、意識的に外に出てもいい。ソーシャルワークが代わりになるとは思えない。言葉や理屈が物事を動かす今の世の中で、行儀は良くなくても、個人の「存在」を突きつけるアプローチはバランス的にもあったほうがいい。一方で、だからこそ居場所が減ってくのも分からないでもない。 

   辞典的な「市民運動」は「市民が民主主義を基礎に、権利意識を自覚し、階層の相違を超えた連帯を求め、特定の共通の目的を達成しようとする運動」だそうだ(コトバンクより)。耳にスッと入ってくるけど、実は、このあたりから検討してもいいのかなと思う。少し変形した「少数が声を上げ、周囲を動かし、やがて体制側を変えていった」という物語を聞いてきた。自分もそれに心を動かされた一人でもある。でも「内輪向けの言葉」だなと感じるようになった。情報の広がりが変わって、昔は声を上げても「内輪」にしか届かなかったのが、今はいろいろな境目を突き破って届く。体制側に少数派もいれば排除された人もいる。小さな声が抵抗をはねのけて大きな権力を動かした、それは魅力的なストーリーだけど主人公と敵しかいないのは自然じゃない。時代背景、世界情勢、経済のいい時期かどうかがない。普遍的な部分ももちろんあるから全て変えなくていいけど「神話」になってしまうと外の人には届かなくなる。 

   若者をオルグする宣伝文句としてはいい。ただ、使う人は「身もフタもない現実」も頭にあったほうが今の賢い若者には伝わるんじゃないか。労働保険の歴史をかじると、戦後一気に手厚い労働法が整備され(同時に労働組合は制限し)たのは「社会不安を除き、団結はさせない」体制側の強い意志があったからだと思う。共産主義ドミノへの恐怖。現行の障害福祉制度のスタートは大戦後の傷痍軍人のケアだと思う。その時代、人口も多く発言力の強い退役軍人に社会資源を向けるのはいかにも保守的なやり方だ。 

 結局、体制側の保守的な意志と、リベラルの人権を基にした改革は「共闘」、は言い過ぎか、少なくとも持ちつ持たれつで、どちらか抜きには成り立たないものだと思う。権利運動の大きな転換点だと思う「公民権運動」、法整備を進めたケネディ大統領は「人種的人権問題への取り組みが対ソ戦略という冷戦政策の一環であるとする認識を明らかにしていた(政治学者・安藤次男)」。連続講座で調べた「公教育の歴史(by コテンラジオ)」では、様々な思想家や教育者が子どもの教育の重要性を説き、一般市民の意識が変わり、大戦の前後で一気に公教育が整備された。それも、体制側の「富国強兵」のニーズと完全にマッチしてしまったからだという。・・今の時代を背景にした運動とは何かを考えます。いつか。。