日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

あらばしり13:春休みの自由研究「老後」  

 Mさんロスが続いている。こう書くと知ってる人を心配させてしまうかも知れない。一般的な意味で、仕事の大きな割合が急に空白になって穴があいたままになっている。前にも似たことがあった。10年くらい前に施設の利用者さんが事故で亡くなった時だった(前に書いたSさん)。「大変な現場」が、急になくなったことで思った以上に生活に影響が出た。当時は、急に仕事がつまらなくなって、逆に「職場の外」が魅力的に見えてきて転職への「転機」にもなった。

 大変な現場に関わっている、という「特別感・充実感」に依存していたんじゃないか、という指摘は合っている。逆に、それが全く無い人はいないと思うし「適量」あるといいと思う。また、「その人」へのロスでなく「仕事」の喪失感だなんて薄情だ、という指摘もその通り。それは別々に起きていて、Mさんのことは頭にあって何か考えるときに顔を出す。空いた時間は、朝起きて何をするとか何時に寝るという日々の行動に影響する。

 他の予定も入らなくて一月半ほど時間的にも精神的にも暇になった。「時間ができたらやろう」と思っていた勉強や作業はあった。あえて予定を入れず取り組もうと思った。「都内のアパホテルにカンヅメになってみる」ということもしてみた。結果としては全然進まなくて無為に過ごしてしまった。小学生の残念な夏休み終盤の気分である。宿題は手がついてないのに「思い出」作れてない。思い出を一発逆転するために、昨日生まれて初めて「スカイダイビング」に行ってきた。

 外から見ると「無為」に見えても実は「格闘」していることがある。完全に時間を自由に使っていい時に「自由に使える人」もいるらしいが、自分はできない。他人から予定を突っ込まれないと自分でエンジンを掛けられない。サラリーマンが合っている。業務すなわち他人の予定を入れられると、その期限までの「自由時間」が、そこで初めて発生する。遅刻ギリギリ・締め切り守らないで怒られてる人に「コイツは何がしたいんだ」と思うかも知れないが、本人としてはギリギリ行動に「生きている実感」を覚えている。期限がないと自由がなくて、何かと格闘して時間と精神を消耗して一日が終わる。贅沢な悩みだと分かってはいるけど、小学校からずっと困っていて、実は何も解決してなかったことが、この一ヶ月でわかった。宿題はしない、いつもギリギリ、休みに何やってるか聞くとアタフタする人、近くにいませんか?

 「老後の練習」だと思った。父親は酒飲みでストレス強めで60年近く働いて、血管破れかけたこともあったけど今も元気。気ままにやっている自分はいくつまで生きるだろう。人生100年時代がリアルになってきた。働いてごまかせない時期がやってくる。両親自慢ではないが、庭の草むしったり海辺を散歩したり、「お互いの時間を取り合って」楽しそうにやっていた。この先、時間を全部自分1人で使うことを考えると実はけっこう怖い。最近怖い話を聞いた。休みなく介助を入れていた仕事仲間が内臓の病気になって、それでも服薬しながら休みを取らない。「休みをどう使っていいか分からない」と言っていた。分かりすぎて首がもげる。独り身で寂しいからではない寂しいからではない2回目。昔から苦手なんだけど仕事でごまかしてたので今も休みが怖い。残念ながら研究途上で「仕事(笑)」がいっぱい入ってきて忙しくなった。残念だけどほっとした。

 ムツゴロウさん。老後だの貧しい発想でむなしい一日が始まって、ニュースで生前の規格外な人生が紹介されていた。プロ雀士でベストセラー作家、生物学者、映像ではアナコンダとライオンに殺されかかっていた。ファンではないけど、昭和生まれにとって「憧れの大人」は、ぼやけたブラウン管に映った、ネットの予備情報もなく何かすごそうなことを楽しそうに軽々とやってのけていた。ああいう面白いおじさんになりたかったこともあった。老後の前に「現在の中年」を研究しよう。