日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

関わっていた人が亡くなること

 10年間働いた愛知県の法人を辞めるときに、自分がいる間に亡くなった利用者さんの墓参りをした。その5人のうち1人は、ご家族と法人の関係がうまく行かなくてお墓がわからない。一度手紙を書いたが教えてもらえなかった。辞めてすぐ引っ越す予定だった。業者が荷物を運んで、翌日くらいに自分の車で追いかけた。その前にお墓参りをして区切りをつけようと思った。退職は割と大きな決断だったので「儀式的なもの」を入れたかった。今はそういう感受性が枯れている。当時は「メモリアル」的なものが好きだった。

 Sさんは、正月に神社で「熊手」を買うのが恒例だった。亡くなった後、正月に熊手を買ってご兄弟に届けていた。東京に来ても続けていたが、去年は買わなかった。時間と距離が離れて気持ちも薄れた。あと、都会は「縁起物の物価」が高すぎて、同じ値段だとサイズが1/10になる。Sさんは、正月から何ヶ月か熊手を常に持ち歩いて、調子が悪いと、田舎の神社の重量のある立派な熊手で職員を襲うのだった。春が来る前に、没収されるか乱闘で壊れて捨てられるところまでが恒例行事だった。

 私の右手の小指が少し曲がっているのは、Sさんにかじられて骨折した名残りだ。伸びた爪で「目突き」をくらって、就職して3日目に眼科を受診した。亡くなってしばらくして、年末の大掃除のため屋上に登って高圧洗浄機をかけていたら、屋根の上に何年か前の熊手が落ちていた。室伏選手ばりの「職員怒りの熊手投げ」の記録である(近くに室伏親子のいた中京大がある)。

 2月10日にMさんが亡くなりました。葬儀もまだですので、通信に書くのはまだ早いと思いましたが、少しだけ触れます。

 墓参りをしながら考えた。自分のような物好きな職員以外は墓参りする人はほぼいない。葬式に居たのは法人職員と親族が数名ということが多かった。その人がどういう人で何をしていたかは、歴代の担当職員に聞けば、だいたい分かる。家族に聞けばほとんど揃ってしまう。Mさんの場合。Mさんが「どういう人で、何をしていたか」を考えると、分からなくなるし、その世界の広さに圧倒されてしまう。岩橋さんのように、一つながりの歴史を把握している人はいる。けど、関わる相手によって全く違う関係がある人だったから、関わった人の数だけ別々の世界があると思う。

 人間関係の乏しい入所施設と、豊かな自立生活。丸一日くらい、そんな図式に当てはめて納得していたが実際はそう単純ではないと思う。Mさんは別格だ。間違いなく「豊かな」人間関係だと思う。かなり乏しい方の自分の人間関係と比べたら、ちょっと凹むくらい豊かだ。(東京での人間関係の7割(質X量)がMさん現場関係だったと気づいて、現場がなくなって「中年の危機」を心配している)

 激しい行動で介助者・事業所の入れ替わりが多かったこと。一人ひとりの介助者と個別の関係・対話の仕方・それぞれの世界を作っていたのは、障害ゆえのコントロールの効かなさやトラウマの再燃を何とか回避しようと、自分の把握できる細かさに世界を区切って対処していたように感じる。苦しさをたくさん背負ったための、結果的な「豊かさ」とは、それは「豊か」なのか。「障害」とは何だろうと考えてしまう。底が見えないような深さや奥行きのある「豊かさ」もあるのかもしれない。