日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

メンテナンス主義で(1) たこの木連続講座の台本を考える

 利用者さんに「昭和の男」がいる。保育園の事故のニュースを見ると「子どもはお母さんが見てやらないと」とか言ってしまうし性的少数派の人たちにも偏見丸出し。「時代遅れ」だと分かっているので外では言わない。その一方で、私が失敗した焦げた料理を悪く言うことはない。「昭和の父親」に憧れてるんだろうね。「家族は同じ時間に食卓を囲むべし」というのと「ヘルパーは家族同然」という「家訓」が組み合わさって、食事介助しつつ必ず一緒に同じものを食べる。ダメなヘルパーも極力NGにしない、家族だから。

 「昭和ノスタルジー」の話ではなく、「悪い(古い)部分だけ変える」というのは難しいんだろう。良く見える部分も、古臭い価値観も、同じものを別角度から見ただけだったりして、1つ直そうとすると全否定されているように感じる。というか、実際は「古い価値観を直す」のは全否定を避けて通れないと思う。けっこう「暴力的」なのではないか。「自分は変わった、アップデートされた、目覚めた」という人は、たぶん変えるほどの質も量も持ってなかったから、何かふりかけて「味変」した程度で言ってるんだと思う。

 「世の中の価値観が変わっていく」と言うとき、個々人の変化は少なくて、人が入れ替わっているんだと思う。古い人たちは、一部の目立つ人を除いては、思ってても黙る、引きこもる、で見えなくなっているように思う。あとは、リアルな話で、お亡くなりになっていく。脱線だけど、平均寿命の伸びとか、人は死ぬという性質自体、社会の価値観に影響あると思う。「コテンラジオ」の「老いと死」シリーズを参考にすると、寿命は伸びるのに「社会的な死(隠居・定年)」は同じか早まる気もして、今後は厳しいなと思う。

 今週の連続講座は、たこの木にしてはチャレンジングな企画です。実行委員会式でなければ出会わなかった人たち、文化、価値観。たこの木だけなら出会わない・呼ばない。企画としては面白いのですが、やはりというか、かなり揉めました。岩橋さんはかなり弱ってそうです。最近頭がこざっぱりして「落ち武者」感がなくなった岩橋さんですが、Zoomのカメラ越しに目を細めて見ると頭に3,4本矢が刺さっているのが見えます(笑)

 最近の自分は、たこの木の「追っかけ」から「株主」みたいになって物申すことがある。変わってくれ、と思っていた。実際、今回のことで「変わる」だろう。期待していたものだけど「コレじゃない」とも思う。よく分からないまま、ただ「地雷を踏まないように」岩橋さんが黙ってしまうのでいいんだろうか。「変われ変われ」と言う人たちは、本当の意味で自分を否定して変わったことがあるんだろうか(自分に言ってます)。

 どうせ暴力的な力を使うなら「切り分ける」方に使うといいと思う。以前書いた持説をまた引っ張り出すと「理念」と「ふるまい」を分けてほしい。「昭和の男」のように、「分かち難い」ことはよく分かっている。でも、黙ったりフェードアウトしていくのはもったいないし、派閥が入れ替わるだけで進歩してない気がする。たこの木の核となる理念を切り出して、新たな「ふるまい」をくっつける。そっちへ持っていきたい。

 初参加組が9割で、多摩の運動やたこの木は知らない「無料で野口さんの話が聞ける」という参加動機の人たちの前で、冒頭の注意事項の説明で「たこの木の今後に向けて」何か表明みたいなことをする妄想をしましたが多分無理なのでここに書きました。