日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(66) 介助者を6年やってみて(1) 「公私混同・手当」の提案

グッドライフ系列での「食事会補助」制度について。

「当事者含めて3人以上の食事会」には3千円の補助が出る。きっかけは、自立生活の知的当事者の人間関係の狭さだったという。介助者はいつも同じ顔ぶれで、場合によっては「通所先でも同じ人」ということもある。自立生活は、自由は多いけど、本人か周りの誰かが広げようとしないと、どんどん世界が縮まっていく。従業員でも利用者でもなく「活動」にお金をつけるのが新しい。(月に何回とか上限があったと思う)

利用者も従業員(介助者)も事業所もハッピーになる「お金の使い方」はなんだろうか?介助者の給料を上げて、休日や福利厚生を良くしたら、頑張るようになって支援の質も上がるだろうか?もちろん◯。だけど、今回は「基本的なもの」はお支払いして、少しゆとりある生活ができている所に「上乗せ」するお金の話だ。

例えば、月に【介助者1人につき1万円】を上乗せして、最も利用者の生活さらには人生が楽しく豊かになる「手当」は何だろうか。「資格手当」に1万円付けてもらったことがあるけど、最初「前の会社は無かったのに感謝」と喜んで3ヶ月も経てば意識から消える。従業員のモチベーションや、支援の向上にたどり着く前に、効果も無くなる。8千円分くらい【中抜き】されて、残りが現場に払われるイメージ。基本給の充実も同じ。もちろん、生活の安定がいろいろな面で業務をスムーズにするし、足りないと不安になって続かないのでベースは大事です。

施設勤務のころ「業務改革」が始まり残業禁止になった。良いことなのに、それまで残業&サビ残で「+α」の仕事・支援をしている気になっていたので(今となっては古い感覚ですが)、一気に会社への「帰属意識」がなくなった。浮いた時間で転職用に資格の勉強をして辞めた。これじゃ「中抜き」どころか効果はマイナス。労働者の気持ちは繊細だ。じゃあ、一律じゃなくて、業務の質に応じて「資格手当」や「役職手当」はどうか。

その前に「前提」の話が必要だ。おそらく介助者の半分は「福祉」に興味ない。自分の周りという狭い観測範囲だけど、6年やったから大雑把には分かる。そして半分は「会社」で働きたくない。他にやりたいことがある。多分だけど、半分は「働きたくない」。じゃあ現場は、だいたい崩壊しているかといえば、そうでもない。半分は「福祉ではなく」仲間として付き合って、半分は「仕事ではなく」マイノリティ寄りの「似たもの同士」で支え合っている、という意識の人たちなんじゃないかと思う。そんな中で「スキルを高めて、上を目指そう」は、ほとんど響かない。

「食事会手当」は、支援を頑張ろうと思わなくても、勝手に利用者の利益になっている。何なら介助者が「仕事が退屈だから友人を呼んで盛り上がろう」という不純な動機で使ってもいい。むしろ「支援を頑張ろう」としてやる事と、結果は大差ない気がする。スキルも熱意も要らない。

もう一つの前提は、パターナリズムすれすれで書きづらい。とくに重度の、知的障害を持つとされる人たちには、「おせっかい」や「余計なお世話」が多少あった方が人生が楽しい気がしている。もちろん容量・用法には注意。「参加の機会が奪われている=参加したい」というニーズがあった時に、手っ取り早くてスキルも熱意も必要としないのは、介助者のプライベートな関心や楽しみに巻き込むことだと思う。「一緒にやってみようよ」は、まだスキルと熱意寄り。「悪いけど付いてきて」これはすれすれだけど良いかな。

すばらしい意思決定支援に支えられた、本人を中心にした資格もち何なら高学歴なチームが「あなたの願いはなんですか?」と聞く。やってることはそんなに違うんだろうか。高度に洗練された「よけいなお世話」は「良い支援」と見分けがつかない。有能な人が集まって熱心にやれば良いものに見えてくる。でもそんな人めったにいない。いないから「次善の策」という提案でもない。福祉以外の世界を持った人たちが日々介助に入る。どんどん巻き込んでくれたら、全員が幸せになれる気がする(間違いもたくさん起こるのでルールは要ると思う)。次回もうちょっと具体的に。