日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(62) あらばしり9『トラウマ・インフォームド・ケア』、勝手に改め『誰もが安全を守られるケア』

先月のある日、昼のオンライン講演と、夜の会議、分野の違う集まりで同じキーワードを聞いた。『トラウマ・インフォームド・ケア』という。気に入って、それから見聞きするあらゆる現象に当てはめて遊んでいる。

「困難ケース」の「困難」の半分以上は、自分たちで再生産してしまっている。支援者と当事者、組織の違い、過去と現在、複雑になりすぎて自重で身動きが取れず、つぶれかかっている。新たな視点は、複雑なものを解きほぐしてくれる。

重い障害があっても、国や民族が対立していても、すべての人類共通の(動物界共通?)の悩みは、未知で複雑でやっかいな「精神」から逃れられないこと。もう全部これでいいんじゃないか、とまで思っている。

名前が使いにくい。カタカナで「トラウマ」と書くと、大げさで安っぽく見える。誰もが安全を守られるケア、とか、これ以上傷つけないケア、とか。横田先輩に「提出が遅れるから『まとめ』に時間かけなくていい」と叱責されたので、今回は引用で締めます。長い引用ですが雑誌購入したのでお許しを。省略できる所がない。自分たちのことを書いたんじゃないか、見られてたんじゃないか、と感じた。

野坂祐子さん『児童福祉におけるトラウマ・インフォームド・ケア』抜粋(細字・下線 Araki) - 2019/10/15発行『精神医学』

 

トラウマの「再演」とは、性的虐待を受けていた子どもがさらに性暴力を受けたり、身体的虐待のあとに他児への暴力が始まるなど、トラウマと同じ被害、もしくはその時にできなかった反撃が別の場面で表れることである。

 

トラウマは、安心、安全、信頼を損なう体験である。そのため、支援者がいくら熱心にかかわっても、子どもには疑わしく思われ、不安や不信を払しょくできない。結果、子どもは支援者を試したり、挑発したり、わざと期待を裏切ったりする。ほとほと疲れ切った支援者が思わず声を荒げたり、「おまえにはがっかりだ」というまなざしを向けた瞬間子どもは安心するのである「ほら、やっぱり大人は信じられない」と。

 

トラウマを体験した子どもにとって、安定した関係や信頼関係は「いつ壊れるか分からない」不安がつきまとう。だから、叱られる。非難される、蔑まれる、疎まれるといったトラウマティックな関係性を無自覚なまま再演するのである。

この「まさに今これをやって/やられてます」感

しかし、ここで支援者が、叱責、批判、反論(正論)で応じてしまうと、支援者による暴力の再演になる。あるいは、子どもを避けたり、匙を投げたりしてしまえば、ネグレクトの再演になる。

 

支援者も自分自身のトラウマを持っており、暴言や暴力にさらされたり。なすすべがないと感じたりする場面は、支援者のトラウマのリマインダーになり得る。支援において、無力感に陥ったり。否認してやり過ごしたりすることは支援者のトラウマ反応といえる。

 

組織もトラウマの影響を受ける。対象者と支援者組織が類似の状態を呈する現象は、並行プロセス(parallel process)と呼ばれる。対象者のトラウマに触れることで、支援者も安全感を失い、組織全体に無力感や不信感が満ちていく。過覚醒状態にある組織の雰囲気は刺々しいものとなり,職員は苛立ちを爆させたり、感情麻痺により苦痛や不安が感じられなくなっていく。

 

支援者も組織も、対象者と同じく孤立し、やがて撤退(辞職)してしまう。臨床現場の実態を理解し、支援者を守る安全な組織を作るためにもTIC(トラウマインフォームドケア)の観点は役に立つ。

 これも、まさに「そうなってます/撤退してます」

「お前は、またそれか」と言われそうだけど、今回のテーマも「たこの木組織改革」につながると真剣に考えている。