日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(59) あらばしり5 「元メンバー」の回想

ある入所施設の会議を聴く機会があった。「虐待防止」に関わるもので、外部の委員が職員に助言する。ただ「防止」するだけでなく組織を改革しようとする前向きなものだ。かつて自分も「改革される側」だった。カタい会議の最中に「思い出しニヤニヤ」が出ないかと必死の無表情で通した。

当時の扱いは、脱洗脳プログラムに送られる「カルト教団メンバー」というものだった。「入所に染まる」という言葉があった(いわゆる施設ミームですね)。入所以外の部署から言われた。可愛かった新卒の女性職員が、半年もすると、眉間にしわを寄せて大声を張り上げるようになる。中庭を通して事務所にも金切り声が響いてくる。先輩職員がつぶやく。「あの子も染まっちゃったね」

現場スタッフ(以下 現場):「人権の視点から支援を考える」という助言があった。集団生活で、何かを決めると誰かにしわ寄せが行く。「できる人に合わせるのか、できない人に揃えるのか」ということばかり気にしていた。権利擁護の入り口にも立っていなかった。反省している。

あ:その前に、ひどい環境なんだよね。定員に対して狭いスペースに利用者さんがひしめき合っている。入所とはいえ令和の時代にありえない。何十年この環境を放置していて、反省するのが現場の人、でいいのか。満員電車で一人ひとりの人権なんか考えられない。通話はご遠慮ください、動くな、話すな、食べるな。禁止や指導をするしかない。経営・運営も一緒に考えてくれよ。

入所職員のころを思い出した。平日は終日作業や運動で、週末は職員体制が薄い。でも外出はしたい。苦肉の策で「会社員の昼休みランチ」のイメージで、昼休みを少し延ばしてレストランに行った。(1人が月に「1回半」という寂しい内容でしたが)

「大企業の労働者もやってる昼休み、ノーマルですよ」と上司に説明した。「改革」が始まるとすぐに廃止。「就労支援」を怠っている。「働けない。働かなくていい」という差別意識が垣間みえるとか。週末が増員されて余暇も増えた。あっさりと。人が増やせるなんて想像もしなかった。有能職員ならそこまで考えるんだろうけど、全く見えなかったし、人員配置の話に触れてはいけない気がしていた。

現場:上司から「失敗してもいいから自分のアイデアを試そう」と励まされていたが、同僚や利用者の意向を気にしてできなかった。上に伺いを立てないと行動できなかった。利用者に申し訳ない。

あ:上司!あなたが優先順位をつけないから動けない。必要なスペースが取れない環境では、何かをすれば必ず他に影響が出る。ケンカやイジメが始まる。リハビリを重視すれば事故に、自由気ままな暮らしをめざせば、お巡りさんの世話にもなる。利用者や地域(一部)や家族から苦情が殺到する(長期的には感謝されても)。それでよし、とするかは現場の判断を超えている。影響は出るけどフォローする、とかしてくれればね。

「改革」初期、お金の管理を緩めたことがあった。抑えていたものが開放されて、毎日のように万引きする人がいた。あれは辛かった。「改革派」は「お前らが抑えつけていたからだ」と見守る姿勢。洗脳を解くためのショック療法のつもりだったんだろう。「万引き犯」は「守旧派」の劣勢を感じ取って強気に出ている感があったのも悔しい。何よりも、それが良いってことは分かっていたのにできなかった。

今なら出来るかと言われればやはりできない。尊敬できる上司は全員パワハラの香りのする「豪腕」だった。利害関係者が100人単位になると、人権意識と「軍隊」の統率力という相反する資質が求められる。