日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(57) 沖縄日記(14)読書『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』樋口耕太郎

初めての沖縄。「美ら海水族館よかったよ〜」から始まって、離島にも行って、地元の知り合いができて、本土のことを「内地」と呼びだすと立派な「沖縄かぶれ」だ。

異国趣味、お客さんとして、キレイなところだけを見て憧れる。そんな自分の感性に酔っている。高まった自意識でまわりを批判し始める。

そして、その「自覚」はある。私の場合、離島の福祉とかハンセン病の歴史などから関わり始めた。沖縄かぶれの進行が早まる。お客さんではない。地元の人も表に出さない深いところを見ている。でも、福祉に携わることと「異国趣味」は近い。一般的に「良くは見られないもの」に、自分だけは価値を見いだしている。実はうっすらと差別が入っている。その自覚もある。

以前、著者の記事を読んだことがあった。沖縄の貧困についての生々しい声。そこから抜け出す道は、女の子なら地元一番の不良と結婚すること、男子はヤンチャをしてヤクザにスカウトされること。男性雑誌用の下世話な味付けだったが「これまで見てきたのは何だったんだ」と悩んでしまった。リベラル向けの本を何冊か読んだだけの「沖縄かぶれ」の底は浅かった。

データだけ見れば、沖縄社会は貧困、格差、犯罪、DVなど、多くの項目で次点に大きく差をつけて全国最下位にいる。子どもの貧困がひどい。家庭が貧しく、途中で学校を辞め、十代で働くか結婚・出産して、早くに離婚してますます貧しくなる。金融出身の経営者で大学の教員でもある樋口さんは、ホテル再生に携わるため移住して16年になる。

沖縄の「いつも被害者」のイメージを覆そうという試み。それはサヨク嫌いな人たちが日々やってる。でも著者には政治的主張がほぼない。ホテル経営で地元の従業員と関わる中で実証してきた理論がある。この分野でイデオロギー抜きの本は、まず見つからない。貴重だ。

その主張には言いたいこともある。例えば、県や県内企業の計画・経営方針の問題を指摘し、もっと言えば県民の「性質・慣習」にこそ貧困・格差の原因があるとする。でも因果関係が逆だとも思う。貧困から抜け出せない構造があるから「身内重視・同調圧力」といった、著者の批判する行動になる。貧困という「結果」だけみて、因果関係は考えず、人や文化をまとめて否定するのは変だ。データがショッキングなぶん説得力を持ってしまう。そもそも「貧困」なのか?全国平均と比較するデータは客観的だけど、慎ましくも穏やかな暮らしを「問題」に変えてないか。方言を「問題」にしたように。(とはいえ身内以外を排除しがちだったりDVなど問題はもちろんある)

身内や親しい関係、地元企業を優先・重視するのが問題か?グローバリストの言いそうなことだ。そういえば、著者の主張は、どれも聞き覚えがある。私が小さいころ、日本が経済的に落ち続けるなかで「グローバル化」を唱える人たちが繰り返していた。そして、著者も分かっていたようだ。

沖縄と日本と世界は「入れ子構造」になっている。沖縄問題の本質を理解することは日本の中からでは気づくことができない、「日本問題の本質」を理解することにつながる。(p.212) 

 

本土から距離があり、文化的に特色のある沖縄にいることで「日本」を客観視できるという。後半、「愛の経営」だとか、自身の転落から再起をかける人生語りが始まったり沖縄関係なくなっていく。でも惹きつけられる。この人も「沖縄かぶれ」をこじらせたんだな。