日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(55) 沖縄日記(12) たこの木「原理主義」1/2

沖縄の平和運動を嫌う人、と話して分かったこと。「サヨク的なもの」が嫌い。沖縄戦の歴史や、基地で大変なことも分かっている。それを上回ってサヨク・親中はムリです。単純。

対する運動側の、とくに外から来ている人たちも単純に見える。「◯◯ぽいものは支持、✕✕ぽいものは全部嫌い」その間で少数派になっている、地元の「当事者」にとって、問題はずっと複雑でわかりにくい。(当事者:東京在住でも日米安保の当事者なのに「他人事」だと笑われるだろう。基地被害を受けない「不当に優遇」された当事者だと)

両サイドに先鋭的な人たちが現れて、火を付けて回る。検証の難しい「デマ」すれすれを狙う。沖縄なら「中国が攻めてくる!」VS「軍靴の音が聞こえる!」。ある考えを、時代や場所などの文脈抜きに何でも当てはめる人 = 原理主義者、とさせてもらう。

それが悪いとは言わない。分野はいろいろ、youtubeで極端な人たちの主張を楽しませてもらっている。彼らが「炎上」させることで、問題が明るみに出て、議論が始まり情報が拡散される。あまり穏やかにしていては、問題が無かったことにされる。

問題は、その間にいる8割9割の人々。どちらかを選ばないといけないと焦る。かくいう自分も、いつも焦っていた。主体性があって、主義主張に一貫性がないと信用されない。賢い人は、教育が大事とかリテラシーとか言う。対立する双方について正しい知識で客観的に判断する。

・・そこに喜びを感じる特殊な人種にのみ有効。学者さんとか。珍しい性癖といえる。原理主義は、分かりやすく正義の快感があり仲間と盛り上がれるから流行る。SNS(+AI)でますます加速がついて怖いくらいだ。熱狂に対して「リテラシー」じゃ弱いんだよな。

例えばこうなればどうだろう。新しい価値観が生まれる。「複雑でわからない」「どっち付かずで決めかねる」ことに、ワクワクできて周りからはスマートに見えるようになる。「主義が一貫していて立ち位置が明確な人」は、頑固で幼稚。新しい価値観では、むしろ信用されない。一貫性よりも「矛盾を認めること」で信用される。

個人の中に相反する価値観、右も左もある、リベラルも民族主義もある。その矛盾を内包してることが、謎めいて魅力的に見える。「右寄りの人、リベラルの人」は要らない。個人と主義を切り離せないか。それじゃあ「主義」と呼べなくなるのか。

平和運動について教えてくれる沖縄の友人は、障害のある家族を持ち仕事は介護職、平和と共生社会を目指すリベラリスト、だったはずなのに、ジェンダー観は昭和のままだった。「男のくせに真っ赤な靴はいて、お前はオカマか!」その場は凍りついた。友人は「矛盾だって言われても変えられない」と笑う。社会だけでなく、個人の内面も多様性と矛盾に満ちてる。論理や一貫性はコンピューターにやらせればいい。

「たこの木原理主義」もある。それが好きで近くにいるので批判じゃない。「親のカタキ」の入所施設。行動障害(暴力と破壊)を伴う人の地域生活。罪を犯した人の支援。どれもこれも難題ばかりだ。

「フィットする支援をめざす会」に関わっているが「どんな罪を犯しても人権が守られ支援されるべき」と思ってはいない。「これくらいの罪で、被害がこれくらい」なら自信を持って支援できる。そのラインを超えるとわからない。わからなくても支援できるが、原理主義に反する。

グラデーションの中で許容できるラインを、一人ひとりが持っている。それを超えても疑っても支援はできる。ラインを知ってれば長続きする。主義よりも、続くことの方が徳が高い。〜変だけど個人的に面白いので続きます!