日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(52) 沖縄日記(9) メルカリ葬

メルカリで「鹿の角」が売れた。バラで2本、計5千円。10年間友人にもらった。お父さんの趣味が「狩猟」で、おいしいイノシシ肉を頂くこともあった。友人とは、距離が離れて会えなくなった。鹿角は「思い出の品」となり簡単に処分できない。まして売って金に換えるのは失礼だ。

メルカリは罪悪感を減らしてくれる。ハードオフに売るのと違って、実際に欲しいと思っている買い手とコメントを交わす。活用してくれる人に譲る。むしろ、高く売ることが友人と鹿角の価値を高めている。

そう自分に言い聞かせているだけで、本音は小遣い稼ぎができて助かっている。でも、そのコメントのやり取りだけで10年分の小さな悩みが消える。売買件数が300を超えた。売上以上に、その「葬式」機能が気に入っている。

自分には高度すぎたり合わなくて「使いこなせなかったもの」も捨てにくい。自分の「可能性」を捨てるように感じる。大阪に10代で出てきて「ホームレス」と呼ばれる人たちを初めて見た。小ぎれいな街の中では「異物」だが、誰も関心を示さない。「見えるけど、そこに居ない」異なる2つの世界が、何かの「バグ」で輻輳したようだった。通学途中に見ていた、白装束の「お遍路さん」と似ていた。

当時の行動範囲は狭く、難波を越えて有名な釜ヶ崎などは見に行けなかった。『無縁声声:日本資本主義残酷史 著者:平井正治 』労働運動の活動家で、釜ヶ崎や大阪・神戸などのフィールドワークにも取り組んできた人。書店で見かけて3千円で買った。現在の40代の金銭感覚にすれば、2万円くらいに相当する大金だった。

きっと、これを読めば世の中を理解できる。環境が変わって都会の情報量に圧倒され足元がぐらぐらする。これがあればすべて解決、という人やモノが欲しい時期がある。ただ、読んでも頭に入らなかった。用語や「運動」の雰囲気が受け付けなかった。

20年間、最後まで読めなかった。怠惰にもほどがある。でも、部屋のどこかにしまわれて「いつでも真実を知ることができる」という状態でよかった。タイトルも表紙も禍々しく、近寄り難い。でも中身は聞き書きの易しい文章だ。それが読めないまま処分なんて情けない。勝手にストレスを感じ始めていたので、メルカリの「葬式」を出すことにした。

半年経って学生らしき人に売れた。発送という締切ができたら数日で読み終えてしまった。中身は濃かった。どこかで「奇書」の類いだと思っていた。「ドヤ」に40年住む「世捨て人」にも見え、浮世離れした自説を書き連ねたのかもと。

それは間違いで、骨太な人物が骨太な本を書いていた。世の中の全てが分かる、という当時の「中二病」は外してない。(ちなみに、観光地などで見かける自費出版の薄い本を趣味で集めているので「奇書」は嫌いではない)

共産党で運動を学ぶが、決別して組織からは距離をおく。「お前は3年で400回もゴテた(争議する)」とは争議相手の社長の言葉。スジを通すことで「敵」からも敬意を払われた。労働災害を会社や役所が認めないならと、医療自体を拒否した。(晩年も「身元確認」が前提の制度に反発して病院に行かず、ドヤの一室で「その時を待った」という)

巻末の対談で、編集者の一人が言う。「平井さんは本来の意味で『インテリ』だ」。反発心が起こる。上から物を言う批評家や知識人といっしょにしないでくれ。でも調べたら、元々のインテリは「労働者の中にいて、その知識で仲間の自覚を促す人」だったそうだ。ならば平井さんその人のことだ。

権威主義化、官僚化しやすい運動体を離れて、抑圧されている「現場」に入っていく。左翼には、そういうグループがあって、最も貧しく差別された集団に入っていった。被差別部落、ドヤ街、沖縄、アイヌ。「窮民革命論」というらしい。そんな同志たちの闘いに、本のソデのダンディな平井さんの横顔を重ねようとしたが、様子が違う。極端な人たちが沖縄やアイヌに入っていって問題を複雑にしていた。特にインターネッツの沖縄問題に現れる謎の登場人物たち。その出自はこの辺りだった。次回あぶないゾーンに接近する。