日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(51) 沖縄日記(8) 辺野古Q&A(2)

那覇空港の近くに「海軍壕跡」がある。レンタカーのナビに出たので、思い立って寄ってみた。「県民に対し 後生特別の御高配を賜らんことを」有名な電文がここから送られた。戦後、沖縄戦の遺族に手厚い「援護法」改正を後押ししたと言われる。一方で「犠牲を強いた軍を免罪しようとしている」と批判されている。「特攻」を美談にしてまつり上げたように。

現地で初めて全文を読んだら、印象が変わった。まず原文は長かった。約650字の長文は、疎開、看護、水くみに至るまで、一人ひとりが浮かぶような文章で埋められていた。自軍の戦いには全く触れない。全滅を覚悟した「訣別電文」とされる。本当に最期の発信だったなら、上層部に向けて「挑発的」といえないかな。

この大田氏の息子、そして「悪名高い」牛島中将の息子さんは、共に平和運動家になった。「優しかった父を残酷に変える戦争」を、憎むようになったそうだ。

知人からの質問つづき。

Q4 その友人は「いわゆるセクト系」なのか。

A4 お互い細かい分類は知らなくて「お前も過激派なのか?」という趣旨だった。親の敵のように「サヨク的なもの」を拒絶する人がいる。逆に聞いてみた。なぜそこまで嫌うのか?知人は60代半ば、辺野古で活動していた人たちも年代が近い。50年前の学生運動では「両者とも当事者だった」ことに関係があるのか。はっきりとは分からなかった。当時の、社会主義北朝鮮を賛美するグループに不信感があった。最近の、朝日新聞旧民主党の批判に移ってきたので、時間を戻そうとするが「熱く」なってしまって聞くしかなかった。

Q5 過激な活動が受け入れられない。沖縄国体で日の丸を焼いた。

A5 開会式のさなかに旗を下ろしてライターで焼く、という圧巻の「演出」で右翼の恨みを買った。その知花昌一さんは「私物」の日の丸を大事に持っていた。本土に復帰するまでは、平和憲法のもとで発展する内地への「憧れの日の丸」。しかし、復帰しても基地は減らなかった。内地の基地は次々に返還されたのに。沖縄を犠牲にした日本軍と日の丸は、しだいに重ねて見られるようになった。この「2枚の日の丸」エピソードは響いたようだ。

Q6 裁判にも負けたし反対運動は意味がない。むしろ中国などにスキを与える。

A6 裁判に負けた時点で、反対運動を多くの人が降りたと聞く。県民同士でいがみ合うことに疲れ、止まらないなら早く平穏な生活に戻りたい。再び活動家Oさん「今は引き伸ばすことが目的。いつか政治が動く。その時まで完成させない」

2006年の「米軍再編ロードマップ」では、2014年に「普天間代替施設が完成」の予定だった。その後2014年に辺野古の工事が始まり「埋め立て完了」予定の2019年での進捗率は約3%だ。「永遠に完成しない説」も聞かれる。

昨年、防衛省は計画を見直し「埋め立て9年、予算9千億」としている。「9」が怪しい。実際は見通しを立てられないのではないか。お役人の発想として、数字の桁が増えると目立つので「大台」にのせないギリギリにした、という説がある。

知人の不安も理解できる。コロナ禍は逆風だ。米中対立&北朝鮮、発火寸前の情勢。どちらも沖縄が最前線になる。尖閣諸島の手前あたりに何もない火山島が出現してくれないか・・