日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(48) あらばしり3 自立生活運動と労働運動(という高尚な話にはならなかった)

食べ物が大きすぎると口が閉じられないものらしい。大福モチが口から半分はみ出たまま、動かない。電動車いすの男を、体操服の2人の中学生が見つめている。

「何かやばそう。息してるかな?でも、食べさせて、と頼まれたし。どうしよう」そう顔で訴えている。

私の友人のSさんは、麻痺で動きは少ないけど、この時は完全に停止してた。引きつった顔で途方にくれている。これはもうギブだろう。近づいて声をかけた。

「大きいから小さくちぎった方がいいよ」

もう遅かった。ルールを破ってしまった。

「ちょっと! そこの介助者の方」ちゃんと見られていた。

「Sさんが自分で指示しないといけない。あなたが手助けすると練習にならないの」

十数年前、福祉の仕事を始めたころのこと。施設ぐらしの友人と、ある自立生活センターの研修会に参加した。中学生たちが介助の職業体験をするという。介助者は引っ込むように言われた。

キーボードに打たれた「だいふくをたべさせて」を読んで、同じ人間だし、自分ならこう食べるから、と思ったか分からないけど、丸ごと口に押し込んだ。途中で躊躇したのか半分出ている。

今なら、それはどうかな〜と思う。異議ありだ。説教した幹部らしき当事者は滑らかによくしゃべる。Sさんは生まれつき話せない。キーボードを打てたとしても、コミュニケーションってそれだけじゃない。自分が何十年も会話を重ねて得た能力だ、という自覚もなく、キーボード渡して「さあやれ助けは求めるな」は酷すぎる。人によって進め方は変わっていいんじゃないの。

しかし、当時は「心酔」してまった。Sさんの潜在能力を見限って「助け守られるべきもの」だと見ていた。自分は無自覚な「差別者」だったんだ。価値観が変わることがたくさんあった。CILはすごいんだよ、と聞いてくれそうな人を捕まえては語っていた。

要は「僕は分かってしまったよ」と言いたいだけなので、相当うざかったと思う。今でも中西さんの「自立生活運動史」を読んでうなってしまう。身近な「実績」であるエレベーター設置運動。障害者だけの声は小さいから、と高齢者やベビーカーユーザーを巻き込んだ。現にエレベーターが一番運んでいるのは、旅行者のスーツケースとベビーカーだと思う。利害がぶつかることの多い、障害種別ごとの団体をまとめて強力な圧力団体を組織した。介護保険統合を止め、重度訪問介護を守り、そして拡大もしてきた。

まあCILだけじゃないし、細かいことはあまり突っ込まないでください。2000年の介護保険、2003年の支援費制度、2006年の自立支援法・重度訪問介護スタート。「訪問」だけのデータが見つからなかったけど、支援費が始まって10年で国からの障害分野の「通所・訪問」の給付は5倍に増えた。現場は様変わりしたと思う。「普通の人」が「普通の就職先」として入ってきた。それまでは理念に共鳴した有志が進んで「手足」となったかもしれないが、どっと入ってきた「普通の人」はそうはいかないだろう。

それでも、憧れのCILは変化をうまく乗りこなしていた。2012年までの民主党政権下の「骨格提言」作りは、団体を超えた組織作りの集大成といえる盛り上がりがあった。

それで最近思いついた。絶妙のタイミングで不景気になった。見方を変えれば、カリスマ中西さんの引きの強さで、2008年のリーマン・ショックを当てたんだと。前の職場でも事務員1名の枠に多くは派遣切りにあった50人以上が応募してきた。その後の、世界の中で日本だけ成長しない10年間で「当事者からNGが出ても代わりはいる」という環境が作られ、当事者の「選択の自由」を守ることになった。それで規模が拡大しても現場に入る人が変わっても理念が貫かれた。少々の無理をさせても他に仕事がない。

自立生活運動の、時流を読む力は神がかってる。もちろん皮肉です。この仮説は、求人倍率のグラフを見るとひいき目で7割合ってる。90年代からずっと人余りで、リーマンショックで絶望的に仕事がなくなるけど回復も早かった。福祉系は下がっても1倍を切ることは無かったから「代わりはいくらでもいる」までではない。

昨年の「訪問」介護職の求人倍率が13倍だった。高齢分野がメインだろうけど、われら自立生活の介助者も含まれる。13の会社が募集しても1人しか来ない。全業種の平均は1.5倍ていど。通所なども含めた「介護」分野が4倍と業界的に人気がない中で、自分たちの仕事が、ほぼ選択肢にないのは寂しい。東京マラソンの抽選が同じくらいの倍率で、ぼくは4回全部落ちた。まず来ない、という数字だと思う。

採用は抽選じゃないけど。潮目が変わったと思う。新型肺炎に五輪の反動と新たなショックを引き当てても、労働人口の減少には勝てない。当事者主体の現場に、新たな発想が、介助者との関係性が、生まれるといいと思う。

CILばかり引き合いに出したけど、これまでの歴史と今現在の影響力や人材のどちらも備えているのはCIL以外にないと思うから。「CIL現場の働き方改革」という趣旨の集まりに顔を出している。たまり溜まった不満が出てくる。各地域のCILで運営が大きく異なるので、全体のことではないけど、聞いていて辛いものがある。一人の労働者として、仲間への扱いをちゃんとしてくれと思う反面、「社会の一員」としては、自分に代わって誰もが暮らしやすい社会に、着実に変えてくれた運動を悪く言われたくない。

大ケガして労災の世話になってから、労働者としての自分を意識するようになった。労働運動が盛り上がらないのも何となく実感できた。労働者が獲得してきたもの、見方を変えれば、使う側が安定した労働力を得るために提供したものは、制度のなかに組み込まれた。よほどのことが無い限り団結して戦うメリットが上回ることはない。

人に薦められて労働組合の映画を観にいった。関西生コン支部の幹部への不当弾圧を糾弾する「棘」という作品で、いずれ完全版を劇場でやるという。少ない情報からイメージするのは「泣く子も黙る関生」というコワモテの人たち。映画では違った。もちろんコワモテに撮るわけがない。古き良きなのか「純粋な」というのか、最後に残った組合運動が隠しもせず露骨な手段で潰されていく。

リーマンを引き当て震災をも・・・・しぶとく影響力を持ち続ける自立生活運動と、骨抜きにされる労働運動と、何が掛け違ったんだろう。もしくは、障害者運動も一般の支持を失って同じ道をたどるのか。目指すものは同じはずなので、対立はしたくない。CILお得意の、利害が対立する者同士を巻き込んで巨大化するイリュージョンをまた見たい。そこには何とかわずかでも力になりたいと思う。