日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(47) あらばしり(2) まだ遅くはない

裁判が始まった。事件から3年半経って「事件が風化している」という声も聞く。しかし、犯人の手紙を中心に事件を掘り下げた本『開けられたパンドラの箱』を出した篠田さんのように、被告と地道なやり取りを続けている人もいる。さらに、気分が良くない話ではあるけれど、被告が健在でブレることなく主張を続けていることが「風化」をくい止めている(被告も変化していることが、たった今入った記事で分かった。後で書きます)。

この事件には、目的も傷つける対象も明確にあった。この間、一方的な恨みで無差別に人を殺める事件が繰り返された。京都の放火に、登戸や新幹線の事件。真相は闇の中、ばかりだ。早く風化して闇に隠れてくれないと、穏やかに暮らせない。ラスベガスのビルから乱射した事件もあった(先の本によれば植松被告は乱射事件を「恐ろしい」と話し、面会者が「君のやったこともそうだ」と返すと苦笑したという)。

個人的には、事件に圧倒されて、自分の考えをなかなか持てなかった。犯人を全面否定するのは簡単だけど、福祉職のポジショントークや「誰かの主張」のコピー以上のものが出てこない。情報が少なかった。もちろん膨大な活字と映像が流れ込んでくる。どの情報も伝える人の色がつく。読み違えて、おかしなことを言わないかと恐れていた。

一方で、犯人に共感はしないが「理解できる」こともある。社会の隠されていた部分を一気にぶちまけたわけで、社会の一員として新たに見えることは当然ある。でも、それを正確に過不足なく伝えるのは難しい。それで、篠田さんの記事は雑誌「創」を見かけると読んでいた。最も犯人に肉薄しながらも、客観的で色をつけない伝え方をしていると思ったから。

どんな生き方をしたらこうなれるんだろう。『開けられた...』を買って読んだのは、発刊から時間が経って、ごく最近のことだ。変わることなく差別的な主張を続ける手紙や、自筆のマンガなどを載せているという。生理的に受け付けられなかった。一部の表現に引っかかって、内容が頭に入らないんじゃないかと思っていた。何年も経って報道も静かになった今だから読める。

私のように、事件の「消化不良」を起こしている人は、今だから考え始められることもあると思う。息子さんが被害にあった尾野さんも、この間に変わっていった。事件から一年後の集会に私も参加し、障害者団体などから批判されながら被害者家族を代弁して必死に反論する姿を見ていた。緊張した空気にいっしょに行ったHさんが疲れてしまって途中で帰った。その直後の展開だったみたいだ。そこにいた映画『道草』の宍戸さんが尾野さんに声をかけて、自立生活の支援者と交流が始まった。

事件から2年経って息子一矢さんの自立生活に向けての準備が始まっている。黒岩知事も事件に翻弄されていた。裁判に合わせて開かれた横浜の集会では、先月の神奈川県知事の「指定管理者見直し」発言が取り上げられていた。公判では、犯人の「個人の問題」に矮小化される危機感から、集会の主催者らは知事の発言をきっかけに入所施設の議論を盛り上げようとしていた。

トップがころころ変わるのもどうかと思うけど、よく言えば「柔軟な人」かもしれない。当初から家族会寄りの姿勢だったが、地域福祉の支援者と議論する中で変わっていったと聞く。結局は元の法人による入所施設ベースの再建案となった。それが今回「入所の支援に問題があった」と言い始めた。拘束などの虐待報告に加えて、同愛会に移った2人の元入所者の暮らしをテレビで観たことも理由に挙げていた。

その元入所者、平野さんと松田さんの暮らしがまとまって放送されたのは半年ほど前のこと。支援者や「有識者」の長い説明より、本人の表情が多くを語ったということだし、テレビはオワコンと言われながらも影響力がすごいんだと思った。

被害者の匿名について。裁判直前になって実名と写真を公開した家族がいた。「言葉は出ないが愛嬌があって笑顔がとてもいい」という紹介を読んで、どんな人だったかすぐにイメージが浮かんだ。昔の職場にいた利用者さんがよく似た雰囲気だったから(名前の読みも同じだった)。障害当事者が匿名報道を「差別」と受け取るのも分かる。ただ、今は「特定」が容易で、実名を出したら、99人は好意的な言葉をかけても、残りがひどい暴言や脅迫を電話口で吐いたり、怪文書を郵便受けに突っ込んでいくかもしれない。

『開けられた...』ではメディアスクラムへの不信感が強いことも挙げられていた。おそらく犯人は死刑囚となり一切の情報が途絶える。また一段と、まわりが静かになったとき、口を開く家族や被害者本人がきっといる。数年後か十年後かもしれない。それが事件の風化を止めると思う。匿名は寂しい選択だったけど、残された遺族の数だけ、あと数十回は事件を記憶にとどめ、議論を呼び起こすチャンスが残された。

植松被告にも変化が起きている。仮に彼が悔い改めたとしても、事件が巻き起こした課題が解決したりはしない。でも私は単純なので、素朴に何が起きているのか期待をしてしまう。被害者や遺族にはささやかでも救いになる。公判初日に謝罪の言葉を口にした。でも篠田さんが面会を始めた数年前から「家族に」謝罪している。驚くこともない。小指を詰める自傷行為も、その延長のパフォーマンスに見えた。

それが、つい昨日の篠田さんの記事(YAHOO!ニュース)によると、「被害者」に対しても謝罪の意思があるらしい。また、当初の面会者に主張を分からせようとする強気の姿勢はなくなっているという。単に、賛同者が少ない現実に自信をなくしたり、拘禁生活で疲れていることもありえる。繰り返し、被告が健在で対話を続けていることは、他の陰惨な事件とは違う。被害者は苦痛だろう。でも、その間は議論が終わることはない。(ノルウェーの連続テロ犯の記事を読んだ。大仰な「思想」がある点で似ているが、テロ犯とは対話が成り立たっていない)