日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(44) Mさんの第3回自立生活に向けて!!〜第5回 燃え尽きない

目の焦点が定まらない。無表情。聞こえてない。夢遊病のようにボーッとしたまま、近くの人の腕をつかんだ。地域生活の「危機」が始まった夏ごろに、生活記録ノートに増えていた記載だ。

PTSD・トラウマ体験の後遺症について本を読んでみると、それは「解離状態」ではなかったかと思う。注意しないといけないのは、理解できないと人は単純で分かりやすい話に当てはめようとすること。自閉症では、急に固まったようになること(行動の停止)がある。自分には見分けることはできないし、もちろん診断はできない。そもそも、名前を付けようとするのは何かと危なっかしい。たこの木の支援者の態度ではないとも思う。通信の読者の方も、呆れてページをめくってしまいそうだ。もう少し、あと10行くらい読んで判断していただけるとありがたい。

PTSDかもしれない、という「仮説」をもって向き合うのがいいと思った。とはいえ、診断とか治療が目的ではないし(そもそもできないし)、当面はMさんのためですらないかもしれない。診断はともかく、PTSDの人と支援者の間に生まれやすい「関係」が起きていることは十分ありえる。

心ある支援者たちに「燃え尽きて」ほしくない。今回の「支援の失敗」で、一人ひとりが受けたダメージはかなり大きかったと思う。失敗は失敗でも「今回」だけのものではない。「数十年分」の支援の失敗の結果が、今になって一気にあふれたのかもしれない。今いる支援者はそれをすべて受け止められないし、無理にする必要もない。修正や個々の努力は引き続き必要かもしれないが、大筋の支援方針は間違ってはいない。今いる誰かのせいではないし、力不足な支援者もいない。

パニック状態の時に、大昔の状況にしか無い相手のことを呼ぶことがある。「混乱してわけが分からなくなってるんだな」と思って、深くは考えなかった。今思うと、それは昔のつらい体験の中に引き戻されていたのではないか。つまりフラッシュバック(侵入)だ。

PTSDの診断基準や状態について読むと、重なることが多い。相手の態度のささいな変化に敏感で、孤立を極度に恐れる。親密な対人関係を打ち切ること。反復的な自己防衛失敗、つまり過去のつらい体験と同様の状況に自分を追い込もうとする。とはいえ、そんなこと素人はなんとでも言える。診断より「関係」に注目したい。

良いチームだと思っている。今は4つ、多いときは5つの事業所が関わっていた。いわゆるサービス事業所の連絡会には、コーディネーターだけでなく現場の介助者も来て深夜まで話し合いが続く。近くで見ていたこの数年でも、支援のあり方を見直し、新たな試みを始めていた。自画自賛でもない。私は介助時間も少なく支援の中心にはいない。その分、少し離れて見渡すことができる。と思って書いている。

Mさんにも、チームの試行錯誤の良い影響が出ているように見えた。効果なんて分からないのだけど、要はラクになって穏やかな時間が増えた気がしていた。転がり落ちるように、穏やかな生活が崩れていった。個人的に一番とまどったのは、もっとも心を許せると思われるベテラン支援者への当たりが他の人よりも激しかったことだ(一緒だよ、と思う支援者もいると思うが、私の主観では)。

病院の廊下で、岩橋さんが反対の壁まで「吹っ飛んでいく」ところも見てしまった。支援者の番付でいえば、私のような「幕下」がやられるのは分かる。頼れる支援者は多くても、古くから知っていて強面タイプでもない、ほとんど「家族」のような人は多くない。一番大事なはずの関係を、なぜ壊そうとするのか。もちろん、一番近い親、とくに母親に対して当たりが強いことはよくある。それも踏まえた上で、これまでとは何か違うものを感じた。

そんなときに子どもの頃を知る人に会った。うまく行かなくて入院していることを話すと「Mくんはいろいろ複雑だから・・大変だと思う」と言って言葉をにごした。以前に渡邉琢さんの話を聞いてPTSDの本を読んだり、あの人にも重なるところがあるな、と結びつけたりしていた。過ぎた過去のことや障害が何かといったことにとらわれると現在の本人が見えなくなる。それはわかる。本人は今を生きているから。でも、つらい過去にとらわれて今を生きられない人もいるかもしれない。

「トラウマの現実に向き合う-ジャッジメントを手放すということ(水島広子)」を読んだ。トラウマ体験の悲惨な告白や激しい反応は、支援者への「異物の侵入」で、それを消化するため「ジャッジ」する。病気ではない人格などを主観的に評価すること。甘えているとか、大げさだとか。それは支援者も同様で「支援者として能力不足で支えられない」というジャッジを自分に対して下してしまう。必要なのは、治療や支援に限った客観的で誰がやっても同じになる評価だということだ。

障害者運動界隈では邪教のように嫌われる「医学モデル」の説明が新鮮だった。人をジャッジせず、医者が言うことを聞けというパターナリズムに陥らなければ有用だとのことだった。障害児の親が「愛情不足や育児の失敗ではない」と気づけたり、発達障害の人が「自分はダメな人間ではなく障害だった」と救われる。ヤングケアラーと呼ばれる精神障害などのある親を持つ子どもも「自分が悪い子なのではなく病気だから」と理解できる。

そもそも、PTSDの治療では「悪しき」医学モデルでは、まったく歯が立たないのではないかと想像する。分野は違っても、共感するところが多いのではと思った。支援チームは、支えきれなかったことを反省して退院後の受け入れ体制を作った。距離をとったほうがいいとして現場を離れた人もいる。わからないことばかりで特効薬があるわけでもない。目につく対応をしている人がいればどうしても「それが原因の一つではなかったか」となる。そして、足りなかったのではないか、もっとできたのではないか。それは間違いではないとは思う。

本人は休みなく社会との間で起きる困難と戦っている。一人ひとりの支援者が費やす時間と労力はそれに比べてわずかだ。「支援の失敗の責任をMさん一人に背負わせてしまった」と複数の支援者から聞いた。それほどMさんの入院生活は悲惨だった。一方で、限界を感じて現場を去る人もいた。激しい反応に巻き込まれ「自分はこの仕事に向いてないんじゃないか」と揺れる声も聞いた。これ以上、反省して、さらに耐えて頑張って、燃え尽きてしまわないか。

危機はなぜ起きたのか、これからどうすればいいのか。それが書けたらいいのだけど。これまでの方針は大まかに「本人を責めず本人を理解する」、これからも微調整しながらブレずに行っていいと思う。本を読んだばかりで、すぐ影響されすぎだけど「ジャッジしない」ことはヒントになると思う。

著者は、当事者も支援者も同様に扱っていた。たとえば「支援者の燃え尽き」は当事者がつまづくのと同じ「役割の変化への不適応(p.155)」だという。「自分は力不足だ」と間違ったジャッジをしてしまった。激しい反応に圧倒されることは「普通にあること(p.57)。過ぎ去れば収まる」その中で本人と関係が壊れる人が出たり、燃え尽きてしまう人もいる。それを個人の責任や力量不足にするのではなく、誰でも同じめぐり合わせになりえる。

誰かがジャッジして押さえ込んだものが、別の人にぶつけられることもあるはずだ。トラウマに関する本を読むと他者との境目があいまいになる。トラウマは転移し、逆転移もする。支援者への激しい反応は、遠い過去の「加害者」がしたことだったりする。うまく行かない人、離れていく人は困難な役回りを担ってくれた人でもある。

なぜ今だったのか、やはり何か間違ったからではないか。きっかけは小さなもので蓄積したものが溢れたのかも知れない。アリの巣から堤防が決壊するように。中年になり色々安定したからこそ、過去が入り込む余地ができたのかも。戦争体験のように数十年後に調子を崩すこともある。男の厄年に事故や病気はまわりでよく聞く話。厄年に入るMさんにも変化があっただろう。そう思うことにしよう。