日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(42) 『天気の子』感想

昼すぎに国会近くを歩いていた。恒例といえる官邸前での抗議活動。アメリカ国旗が見える。大戦中の空襲被害の補償を求めるものだった。夕方のニュースで、小泉議員の結婚報告を伝えていた。取材映像の時刻は午後1時すぎ。

高齢の、おそらくは空襲の生存者や遺族だろう。猛暑のなか日陰を出て訴えた言葉は届いていなかった。「耳をふさいだ」なら、まだ反応がある。官邸にいた、首相から報道陣まで、お仲間の結婚祝いをされていては報われない。

東京に住んで4年たった。人や情報が集まり、多くのことが決められる場所だ。これまでより少し踏み込んだことをしたり、考えられるかもしれない。4年たって、そうはなってない。でも悪くはない。部外者であっても、観客として舞台ソデの距離から眺められる。

「軽めの記事が読みやすかった」という感想をもらったので、「沖縄日記」は夏休みにします。身の丈に合わない「歴史」を扱う事にすこし息切れしてました。 映画「天気の子」が面白かった。冒頭の「雨の新宿」で気持ちを持っていかれた。後はどんな展開でも受け入れる「信頼」のようなものができた。初めて東京に行ったのは大学生のとき。歌舞伎町のカプセルホテルに泊まった。20年前の新宿はもっと殺伐としていた、と思う。バイオレンスな作家・馳星周の小説で予習していたせいもある。

早朝に宿を出て、生ゴミの袋の山をよけて歩いていると、前から声をかけられた。「お兄ちゃん、遊んでいかん?」という声はかすれて年齢不詳。着飾って女性の格好をしていたが性別すら分からない。おじさんかおばさんか、どちらかだとは分かる。映画の主人公と同じように、声に出さず叫んだ。「東京って怖エー」

映画の盛り上がるシーンの1つに「坂道での再会」がある。ネタバレに配慮しつつ、見晴らしのいい坂道で、一人がそこにいて、一人が駆け寄る。この場所にいったことがある。それどころか、同じ動きと演出で再会シーンをやったことある。

15年ぶりに相手に連絡をとった。飲みに行く相談をした。「いいけど、 節度をもって飲めるようになってるならね」と条件がついた。苦笑いするしかない。

東京の学会に行ったとき(と言っても発表を見に行っただけ)、夕食で先生や後輩たちと飲みに行った。先輩風を吹かせて、まだ飲み慣れない焼酎を瓶で頼んで「みんなで飲もうよ」とやっていた。誰も飲んでくれなかった。そう強くもないのに一瓶空けた。疲れていたし精神的にも良くない時期だった。当時の一番コストのかからない旅行は、下道を走って車中泊することだった。愛知か 1号線を走り、箱根の二子山のふもとで寝る。今思えばぜいたくでもある。ただし疲れる。

肩を叩かれて目が覚めた。暗かった。「こんなところで寝たらダメだ」とか、「通報があって来ました」とか、聞こえてくる。とにかく寒かった。震えを押さえつけて立つ。まともな人間だとアピールしたい。道で寝ていること以外は。警官を前にすると卑屈な本性が出るようだ。名前は言えた。身分証は、、無い。財布がない、携帯電話もない。何も思い出せない。これはマトモとは言えない。

職質したのと別の人が、さっきまで寝ていた道路を見ている。「あーあ、漏らしちゃったねー」生年月日と本籍の途中まで伝えたら、身元確認できたようで帰っていった。必要なモノが無く、人としての尊厳も失われた。

明るくなってきた。腕時計を見ると朝5時前だった。よく見えない。メガネがない。小学校からのメガネユーザーとして、どんな状況でも身につけておかねばならない。こういう場合は、寝ていたときの頭の上辺りに落ちている。這いつくばって両腕を地面にすりつける。メガネ紛失が一番のダメージ。ここがどこだか分からない。自分のことも分からないことばかり。加えて0.04の裸眼では標識も見えない。人の表情が分からない。

コメディ映画で見たやつだ。マフィアのペナルティとして、箱に詰められて外国の街角に捨てられる。学会といっても出番はない。見学に来ただけ。昼は就活だったようでスーツを着ていた。8月にもなって、うまくいってない。後輩の視線に憐れみを感じる。正確には後輩ではなく「今年から同級生」だったりもする。そして今、漏れうる穴という穴からほぼ漏らして、行き着いた感がある。社会的にも生き物としても成れの果てである。

抜け殻のように、と言うけど、それは身軽でもある。線路の切り通しの上から街を見渡せる。少し右手に日が昇りはじめた。さて、これから交番で電車賃を借りて、日雇いの仕事を見つけて。誰も自分を知らない街で、新しい生活が始まる。アルコールが抜けた頭が突っ走る。ここから新しく人生が、始まる。

坂の下から誰かが走ってくる。朝の静かな住宅地にそぐわない。もっと場違いなことに、関西弁で怒鳴っている。あ、僕のカバン持ってる。映画とよく似ている。夜明けの街をバックに、映画よりも背景は良かったかもしれない。「現実」版の台本はこうだった。

K先輩「ゥァラキィー、アホかお前どこ行っとってんやボケー。どんだけ探した思っとんねんコラー」

あ「えーと何も覚えてなくて。あの・・とりあえずメガネ無くって見えなくて。知りませんか?」

K先輩「何でもええけどな..とりあえず一発殴らせろや、なあ、なあ」

あ「殴られても仕方ない立場ですが、今されると、いろんな所からいろいろ漏れそうなんで、今は勘弁してください」

なぜ詳しく書けるかというと、先輩がネタにして帰ってから200回くらい周りにしゃべっていたので。先輩は関西人として十分元を取っただろう。飲み会の帰り道、電車内で吐きそうになって途中下車して、K先輩が飲み物を買いに行っているうちに行方不明になった。終電から5時まで探してくれたらしい。法的にも、たぶん殴っていいと思う。

15年ぶりに先輩に聞くと、そこは「明大前」だという。さっそく調査に行った。現地では記憶ほどの高低差がなく、先輩が左の路地から見えて坂を上った位置関係がない。国土地理院の高低差マップを眺める。日が昇る方向と眺望のよさは、やはり映画の田端駅から上野あたりの山手線ではないか。

田端から日暮里まで歩いた。似ているけど違う。涼しくなったら先輩の言う「井の頭線」を辿ろうと思う。事実でしかないと思っていた記憶が違っていたことがあった。その「駅」が見つかれば、昔の自分と重ねて何か見えるかもしれない。

見つからなければ、何かの理由で、何かの事故で、自分の中に「見晴らしのいい坂道」を作ったことになる。超短編の自主制作ファンタジー映画が一人ひとりにある。そんな空想にすがる退屈なアラフォーの日常。