日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(38) 沖縄日記(2)

「村長の話が良かったね。あんな話ができる人だと思わなかった」

3月に沖縄・伊江島での平和運動の学習会に参加した。「美ら海水族館」に行ったことがある方なら、海の方を見ると正面に見えていた島です。山も丘もないのっぺりした島の中央に険しい岩山が突き立っている。子どもが絵に描いたような、かわいらしい形をしている。

見た目とはウラハラに、沖縄の戦中戦後の歴史が凝縮された島だ。のっぺりして平坦なことで飛行場が作りやすい。沖縄戦では、本島に先立って米軍が上陸した。戦後は、軍用地の強制収用が最初に始まった土地でもあり、沖縄の反基地運動の始まりの地でもある。基地に適した形状だったことと、人口の多い南部から遠く、行政やメディアの目が届かないこともあって「弾圧」と言える激しい土地収用が行われた。

運動の初期からのリーダーだった阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さんが魅力的な人物で、今回の学習会も阿波根さんの実践を振り返るものだった。阿波根さんは障害者運動にも共鳴して、当事者の木村浩子さんの拠点づくりを助けた。福祉関係で島を訪れる人が増え、私もその一人で十年前から毎年のように訪ねている。平和運動の側面を一度見たくて学習会に参加した。

非暴力を貫き、「伊江島ガンジー」と例えられる。でも、本家ガンジーの言葉を調べると何か違う。阿波根さんは、弾圧や運動といった背景を取り去ったとしても表現や発想がまあ面白い。下手に要約すると「アメリカ建国の父たちが作り上げた民主主義の理念を忘れた、かわいそうな米軍に、子どもを諭すように丁寧に説明する」というもの。

火炎放射器で家屋を焼き払い、武装した兵士が乗り込んで来る絶望的な状況で、その態度を示せる。「人としては農民が上で、軍人は下」というのもある。それに比べると「本家ガンジー」の言葉は面白味に欠ける。

その阿波根さんたちが米軍の妨害を受けながら建設した拠点「団結道場」の修復が今回行われた。その記念式典で伊江村長による冒頭の祝辞があった。「二枚舌、なのかな」ひとしきり村長の話をほめたあと、宿に戻って学習会の緊張も解けた参加者の本音が出る。学習会には全国から第一線の運動家・活動家が集まっているようだ。そして現在の村長は保守で基地容認派だ。参加者はそれが歯がゆい。土地はある程度返ってきて、返って来なくても、農地としての利用ができたり、土地の賃貸料「軍用地代」の額も増えて運動は下火になった。

基地のある自治体には少なくない交付金が下る。ハコモノにしか使えないとはいえ、離島に港湾施設は命綱であるし、川がなく灌漑設備も欠かせない。 辺野古と同じく基地と共存することで村民の生活を守った。僕は午前中の式典に間に合わなくて聞いてない(こんなに引っぱって聞いてないのかよ、ですね)。阿波根さんの運動に共感し、受け継いでいく、というような容認派らしからぬ発言だったようだ。運動家たちが「二枚舌」と揶揄する。

辺野古交渉秘録」という本では、政府側の筆者が「沖縄の首長たちは二枚舌だ」と糾弾していた。沖縄の政治家は二枚舌なのか。「国境」地域の政治家が二枚舌を使いこなすのかもしれない。かつて琉球王国では欧米の開国要求に対して、永遠に責任者にたどり着かない「ダミー官職」を作って相手を諦めさせたという。対馬藩では、大胆にも幕府と通商相手の李氏朝鮮の「国書を偽造」した。2国の対立を収めて、交渉役の利権を維持するためだった。

大国に接する地域のリーダーたちは、舌も顔を使い分けることが資質なのではないかと思う。生き残るために。まして大国に挟まれて自治を保つのはもっと泥臭い仕事だと思う。それは特殊な地域でなくて世界地図の大部分ではないかと思うようになった。本土、内地、東京の自分たちがいる場所が、世界の「普通」とは違う。海に守られて自立できる自然に恵まれている。十年通って得たものが、鈍い頭ではたったこれだけの気づきだった。連載を通して、もう少し掘り下げたいと思います。