日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(36) 兄の呪い後編(3/3)

「兄」は神様の儀式担当で四角い道具をささげ持っている。祭壇を置けば「祝」に、祈りを口にすれば「呪」になる。面白い。

ついでに「支援」のシは「つっかえ棒」の形で、「ささえ」もするが「つかえ」にもなって支障をきたす。つっかえると二手に分かれて「支流」となる。よかったら誰か使って下さい。

これまでを振り返ったり、先のことを考えたくなる。でも「日常」に負ける。もう何十年と全敗だ。今回はちゃんとやる。そういう年齢になった。早逝した兄、神秘的な字義、命日も近い。そういう劇薬で日常の歯車をすこし止める。立ち止まって、進む方向が見えるといい。

この後編で「後半人生の夢」を語ったりしたかったけど、今回も負けのようです。年末に、自転車の前輪にものを突っ込んで「物理的」に日常を消し去ってしまった。大ケガして入院してちょっと危ない時もあった。

「人生観は変わった?」たこの木周辺でよく聞かれた。興味しんしんという目で答えを待っている。「変わりないけど幸運続きだった」。幸運のリストを作ってみた。「Aの可能性があったけどBだった」というもの。死ななかったから、誰かが来ないと思ったら来てくれた、まで。100を目指して始め52まで来た。

保険用の診断書を取りに行った。内容が自分の認識より深刻だった。病院前のバス停から仕事に向かう。これだけ回復して「大いなる存在」を感じ、スピリチュアルに行く人もいるだろう。ぼくは、その診断書で保険金が大幅増額して幸運リストに追加した。この危機にあっても平常通り。事故の前から幸運続きだったと気がついた。世間一般に必要とされるタスクがこなせなくて、もうダメかと思ったら隙間に居場所を見つけ、誰かに拾われ、たまには機敏に逃げられたり、誰も傷つけない嘘がつけたりする。全部「幸運リスト」の条件に合う。でもそれは「怠け者リスト」のことじゃないのか。

すべてをよしとする、地面をならす重機のような力。「日常」はそういうもの。良くいえば現状肯定だけど進歩なく怠けがちだ。外出許可が出た時のこと。失いかけた健康を無駄にしない。再出発を誓った。外の風に当たると、いつもの日常が迫ってきた。ローソンでレジが済む頃には決意はかすんでいた。日常は勝ち目のない相手だけど、死にかけても動じない頼れる防衛装備でもある。身近に家族がいなくて困った。同時に「おひとりさまサバイバル」の実践だと張り切った。

これも「呪い」かもしれない。こうして兄は生かされ続ける。兄が通う中学に憧れて全寮制の男子校に進学した。兄は「大学デビュー」したが、弟はいわゆる「繁殖行動」に踏み出せない。高校を出て札幌近郊に一時的に転勤していた兄を訪ねた。波の高い冬の日本海フェリーで22時間吐き続けて船は小樽に着いた。

数時間後に「すすきの」で奢ってくれた。兄貴よ、嬉しいけどあれが良くなかったよ。悪いイメージが付いてしまった。心肺停止から昇圧剤を打って蘇生する、儀式のようだった。