日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(35) 兄の呪い中編(2/3)

見舞いに行く。大きな「病院」は、大学のキャンパスに似ていた。街路樹の葉は落ちて寒い季節だった。誰にも会わずに「病室」に着いた。姉も来ていた。部屋が暗くて表情が分からない。両足には力が入らず感覚もないようだ。

「ほどいて。足がからまってる」

また始まった。始まってしまった。脊椎で断線した神経が悪さをする。疲れて眠るまで、波はありつつも数時間は続く。重たい足を曲げ伸ばし、訴えに頷いたり、ゴマカシたり。まずは目を閉じて気持ちを切り替えよう。

その次は布団の中にいた。兄が亡くなって数年後に、そんな夢を見た。リアルだった。「ああよかった。もういないんだ」清々しい寝覚めだった。さすがに失礼だと思って「ごめんね」とつぶやいた。家族全員が、持てるものを出し尽くしたように思う。おそらく兄も含めて。いわゆる「介護地獄」になる少し前に終わった。幸運にも恵まれていた。亡くなる直前の1週間は入院した。ほぼ在宅での看取りができた。

天職。仕事はできる方ではない。上司との関係も悪い。就職活動の時点でひどかった。もっと前から夢も無ければ働きたくない。それでも福祉の仕事を始めるとしっかりハマってしまった。周回遅れで世間一般に追いついただけ。その落差を「天職である」と理由づけした。当時はブログが流行っていた。七回忌の記事。自分語りが恥ずかしい。

どんなに衰えても、まわりが「そのままでいい」と思っていれば、何も変わることはない。希望の見えない病気は、「病気」以上に多くを奪っていく。それは、まわりの態度ひとつでくい止められることも多い。

兄のケアを通して、使い勝手のいい「呪文」を手に入れた。「そのままでいい」。現状を受け入れる、価値観を押し付けない。

自分なりに分析もしてる。兄を元気な頃と比べてしまう両親への反発と、兄の衰えと周囲の変化についていけない自分を守る武器だった。「そのままでいい」一見すると美しい態度も、兄がコメントできない病状だから成り立つ。話ができればきっと怒る。「いいわけないやろうが」。

福祉では、そんな勘違いだらけだ。理念やケア者の熱意は、思い込みや勘違い。それが役に立つことも多い。ぶつからずに尊重すればいい。さっきのブログ記事のオチはギスギスした職場の批判だった。呪文は生まれて育っていった。入所施設の訓練的なものへ「そのままで」いいじゃない。仕事はできないのに自信ありげで批判的だった。ノーマライゼーションも、「障害は個性」も、より普遍的なものへと肉付けしてくれた。自立生活運動へ、ピープルファーストへ。関心は広がって、東京に移住するに至る。

冷静になれば、古今東西どこにでもある物事の捉え方だった。「天職」の正体が最近分かった。「そのままでいい」には、当時の自分の無力さを解消したかった。物言わぬ兄に託して。そんな横着が、人の死ぬ時に一度は許されると思っている。

「余計なことをしない」のが成果を生む仕事だと思う。周りが「やってしまう」中で、何もしないと少なくともマイナスにならない。たまにプラスになる。時空が反転してる。東京に来て魔法が解け始めた。何もしない、やる気もない人が呆然と立ち尽くしてる。