日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(32) 多摩スケッチ「飯能アルプス」

はんのう。心地いい響き。東京に移住して、最初の「最寄り駅」が飯能だった。

「飯能は東京じゃない」そうだけど、青梅市の山あいに住んでいて、100m先の成木川を渡れば埼玉県飯能市だ。調整区域で家は増えない。かわりに介護施設精神科病院が建つ。静かな里山だった。

飯能市の図書館が良い。「森の中の図書室」という建築。閲覧室の高い天井を杉の柱が支える。皮をはいだだけの大木が並ぶ。居心地がよくて滞在時間の半分は昼寝していた。

急行・飯能いき。登山靴が多い。停車するたびに増えていく。平日でも高齢のグループや外国人旅行者が乗ってくる。週末は座れない。子どもの団体も加わって年代も属性もごちゃまぜだけど目的は同じ。山が見え、気温が下がり空気が変わる。日常から遠くへ電車は走る。

1週間たって、やっと収まってきた。頑張ったことをSNSに書きたい衝動。何年も更新してないのに、急に自己満足な投稿だけするのもいやらしい。1週間よくがまんした。予定表を見ながら思う。来週は通信の締切だ。通信なら許される気がした。定期的に書いてるし、トップページに割り込んだりしない。承認欲求にまけた。

「龍馬脱藩トレイルラン」を完走できた。龍馬脱藩って何?の所はひとまず忘れて頂いて、70km、累積標高:約4千m(登った高さの合計)のハードな大会だ。企画側に知り合いがいて誘われた。フルマラソンを足を引きずってやっと走れるレベルだったのでまず無理だった。でも、トラブル続きで消滅しそうな地元のイベントを応援するつもりで申し込んだ。

「脱藩」の件については、もともと名前に付いてなかった。集客のために3回目から改名してコースも変わった。脱藩といっても四国山地の道なき道を行くのではない。偽名を使ったりして街道を急ぎ、船で長州へ渡った。尾根伝いに走ってたのが龍馬さんに合わせて谷底まで降りた。そこから見上げる山の上まで、3.5kmで高度700mを登る。高尾山の歩道と同じ距離で倍の高さ。35km地点でそれである。「この龍馬しばりは要らない」と思った。でも、それで一定のお客さんが集まる。

龍馬「伝説」のほぼ全ては「竜馬がゆく」から来てるという。高知の一つの産業となり県民のアイデンティティとなっている。八尾の途中で、司馬遼太郎記念館に寄ってお礼を言ってきた。何が書きたいかと言えば、頑張った。でも、遅すぎて後半ずっと独りで走っていた。完走目的だから遅いのはいいけど、抜いたり抜かれたりがないと面白くない。遅いもの同士で少しは競い合いたい。ロードが多かった。ロード率が高いと人ない。そして僕は、全部遅いがロードが特に遅い。森林率9割近いのが自慢なのに、山を走れない。

「四国にはトレイルが少ない」そう参加者が話していた。ハイカーがいないので道が整備されない。林業が主要産業で、どんな山奥でも林道がある。結論として「遍路道がおすすめ」ということになった。

「飯能アルプス」西武線沿いの尾根道で練習していて、手書きの標示板を見つけた。市内から秩父方面へ尾根道が2~30km続く。アニメの聖地になったりムーミンが来たりする。飯能はいい所だけど、さすがに夢見がちすぎないか。アルプス、がずっと杉林でいいのか。

四国から戻ると「里山格差」なのかと思った。トレイルは自然と親しむ「現代の里山」といえる。東京に来て「自然が豊か」だと感じることがあって否定しようとした。でも、人が入らなければ里山は消える。本場イタリアや長野にバカにされても、薄暗い杉林で眺望が無くても、「飯能アルプス」は都市の豊かさを誇っている(と地方民は受け止めた)