日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

フィットする支援をめざす会 「Yさんに会えた」〜 八尾ゆうとおん交流「合宿」の報告

2日目の朝。B型と生活介護「ゆうとおんはーと」2階の作業場でYさんを待つ。

多摩の仕事ではあまり出会わない、清潔で広くて明るい空間だ。人気のない館内に大きなチャイムが響く。来たようだ。1階の玄関を通ると全体に音で知らせる。気のせいか畑さんが渋い顔をしたように見えた。大勢が利用する施設ならではの「しかけ」を、多摩からの客がどう感じたのか。畑さんをはじめ、ゆうとおんスタッフは謙虚でウツワが大きい。「こう言うと岩橋さんに怒られる」「組織を大きくしすぎた」「社会福祉法人なんてヤラシイことして」関西流の「自虐」も含め、自問自答を日々重ねていることが伝わってくる。岩橋さんの話をあんなに噛みしめるように聞く人は珍しいと思った。

歴史も実績もある大きな法人であれば、話をまともに聞かないことだってある。心なしか、岩橋さんが普段より気持ちよさそうにしゃべっていた。Yさんは、初対面の緊張を感じさせない方だった。穏やかで、少しお腹が出て、少し眠そうだった。失礼ながら、昔どこかの福祉施設で見かけたような、馴染みある雰囲気だった。壮絶といえる環境の変化と薬も増えて以前の彼と少し変わったという。「Tさんとは全然ちがうんだな」当たり前のことを思う。

2人の「縁」で交流が始まり昨年の夏に八尾から多摩に来てくれた。今回は「めざす会」の7名が大阪に出向くことになり、それに合わせて研修会が開かれた。

<1日目>ゆうとおん研修会「それでも、関わり続けるために」~罪を犯した障害のある人の支援をめぐって~

基調講演:元・地域生活定着支援センター所長・中川英男さん

心理士が作った専門用語の多い資料には、ちらりと触れるくらい。話の中心は、具体的な誰かの物語だった。

「(過去に関わった人に)自分のことも話せ、と言われている気がする」。くり返されたのは、「氷山モデル」と「人生の主人公に」というキーワード。犯罪行為にいたる背景が、行為自体の何十倍も隠れている。障害特性や育った環境、愛情を受けていたか、物事の受けとめ方(認知)もそれぞれ異なる。

窃盗依存症の方は、いじめを受ける中で「ものを渡して」身を守ってきた。そんな生き方を知った上で「盗ったものをもらっても嬉しくないよ」と伝えると、彼は驚いたという。なぜ、多くの人は犯罪行為を「しないのか」に着目する「犯罪からの離脱」という捉え方がある。私なりの理解では「再犯防止」を置き換えるもの。例えば、1週間「再犯防止」するなら、部屋から出さないか、重いペナルティを課せばいい。

先の方が、先に食事を終え人のいない部屋のドアに手をかけた所を見つかった。そこで注意・指導するのではなく、「どうすればよかった?」から始めた。自分の身を守るために。彼は「仲間が食事終えるまで待つ」と決めた。自分で決めたことは必ず守るものだ。さらに食後に仲間の皿を洗うようになった。逸脱行動が原因で浮いてしまっていた彼が、感謝されるようになった。そうして人生に主体性を持てるよう支えていく。

3つの事例

(1)岩橋さん

服役中のTさんとの関わりについてと、「服役中から連続した地域定着支援」という提案がされた。Tさんと支援者が苦心して作っていた関係は、刑務所にるとほとんど成りたたない。面会は月に1回30分、手紙は返事まで数週間かかる。本人には理解が難しい規則違反により懲罰として面会等がさらに減る。昨今の出口支援では「インフォーマルな資源の活用」を謳うが、関わろうとすると「素人集団に何ができる」と冷たい。懲罰主義の塀の中で落ち着いても、出所して人も環境も変われば全てやり直しになる。服役中に、地域では当たり前の「型にはめず、本人の言うままでもない、相互に築く関係」を始める。信頼関係がある人としんどいことをやるのと、無い人とやるのとはちがう。出所直前に新しい人・環境で始めるのはリスクが高い。また、刑務所スタッフにとってもメリットがある。本人を理解し対応も楽になるだろう。

(2)ちいろば会の富田さん

Mさんの事例についての中川さんのコメントによって議論が深まった。指導的な対応で「火山が爆発」する。一方で「甘える」ような関わり。距離が近づき「羽交い締め」のような暴力に変わる。対応に苦慮し、職員は辞めていった。暴行事件から精神科入院となる。入院させられた不信感からか、本人と距離ができた。支援側も後悔があるが、現場は限界に来ており「リセットする時間」が必要だった。精神科病院以外のリセットできる場所はないだろうか。中川さんのコメント。「愛情と憎しみの分離」ができているか。あやされたり受け止められる中で作られる。例として、自分を「抱っこ」したがる成人男性がいた。いざ抱っこさせると放り投げられる。近づくと暴力になる。それを聞いて富田さんが思い出した。Mさんの退院後にニックネームから「さん付け」呼称を変えたことで、落ち着いて過ごせることが増えた。

(3)ラルゲットの豆子さん

介護の仕事に悩む中で、介護職への心理療法に出会い心理士になった。出所後に支援を始め、再犯に至った男性について。服役中に末期がんが見つかり出所後1ヶ月で亡くなった。「迷惑をかけたくない」と豆子さんへの連絡を拒んだ。刑務所の福祉專門官が「機転をきかせて」病状の連絡をしてくれた。早い時期から療養の手配を始められた。[会場と意見交換(抜粋)]質問者:「否定しない」姿勢の一方で指導的な「父性」の役割もあるという話をどう理解するか。中川さん:役割分担をする。1人の人間が、同時に「包み込む」ことと「ルールを教える」ことは難しい。被害者はどんな思いをしたのか、という事実はしっかり伝える。たとえば、性犯罪について本人の前で再現して「これが社会で暮らしていくにはマイナスになる」と伝える。岩橋:(その結果、サービスや住居の)契約解除で孤立するという現実を前に「否定しない」ことで支援者側もしんどい。なぜ言ってしまうのか、と支援者が自分を見ることも大事だ。会場:社会に働きかけ、変えていく話が少なかった。「できない・分からない・手のかかる子だ」と言われて育ち、虐待もある。私なら歯向かいたくなる。難しい事例だというだけでなく「人に対する見方」や横のつながり等を考えてほしい。「専門的なアプローチをしないと、こういう〈ややこしい人たち〉は無理なんだ」という印象を持たれてしまう。

 

<2日目>ゆうとおんの支援者と、めざす会の意見交換会(途中Yさんが30分参加)

フィットする支援をめざす会(以下「フ」):行政や地域定着支援センターは「Yさんをゆうとおんに戻さない」という強い姿勢であったのに戻ってこれた。

ゆうとおん支援者(以下「ゆ」):本人の戻りたいという意志が強く、他のところを勧めたが見学にも行かなかった。(荒木:特別調整で遠方の事業所も探しており一方的に措置される印象でしたが、本人の意志に反して無理強いすることはしない・できないようです)

フ:抱えた悩みをうまく表せずに大きなトラブルになる。それが数ヶ月・数年という幅で、日々変わる支援者が気づきにくい。そこの支援の仕方は。Tさんの出所後の支援とも共通する。

ゆ:八尾駅の事件のあと、心理士による認知行動療法を行った。日記や「気分を十段階で」など記録した。今回の出所後は本人が嫌がっている。定期的なカウンセリングを続けている。

○Yさんが登場「規範意識が強い」と聞いていた。短いやり取りでもそれが伝わってきた。でも、シャレの通じなさそうな「東京からの客」に囲まれ、素の自分が出せなかったかもしれない。

フ:世話人・ヘルパーが必ず近くにいる生活は息苦しくないか。Y:ないです。1人になると子どもを連れ回して誘拐とかになるといかんから。今の方がいい。

ゆ:GHで献立のリクエストをしないと聞いた。なぜ希望を出さないの?

Y:しません。(献立は)決まってるもんやから。

フ:仕事はどんなことしてますか?Y:販売に配達にいろいろと。出店して□□円売れました。クッキーだけで△△円売れました。

(荒木・補足)細かい事より肝心なのは売上だと。さすが商いの街。ここにきて少しドヤ顔が見られた。「(事件のあった)駅には行かない」と決めると厳格に守って、自分から迂回する。「ささいなこと」に見えることにも本人の正しさ・ルールがありトラブルの原因になる。例:コップを不衛生な持ち方で配膳すること。対象は、その都度変わるので対応が追いつかない。

○大きな法人の弱点・役割について

ゆ:多摩では意識して「組織を大きくしない」と聞いた。私たちは大きくしすぎた反省がある。昔は「地域で=GH」だと思い増やした。ある時期に気がついて止めて職員の育成に力を入れた。

岩橋さん:知的分野は、多くが赤字で住居の確保など難しい。体力のある法人の強みがある。

ゆ:職員が「業務」として関わるのが、法人の抱える弱点かもしれない。当初、子どもの入所問題をしていた時は仕事だと思っていなかった(ていねいに寄りそう関係が作れた)。

岩:そういう「関係性」を大事にしていたが、人数が増えると言ってられない。大きい所の難しさを知りたい。手伝える事が分かる。昔は、加わってくれた新しい事業所の都合を考えなかった。今は「ここが大変でしょ?そこはやるから得意な分野はお願い」と言える。お互いが楽になる。

ゆ:Yさんを支援していた職員が辞めた。熱心だったが「業務」としてしか見ていなかった。

岩:料理が好きだからコックになれる・コックになる訳じゃない。経営者になることもある。当事者も担う人も(分離教育などで)同じ地域の「生活者」としてのつながりが奪われてきた。良い悪いじゃなくて、どう取り戻すかを考えたい。

○地域に戻って「地域の目」は気にならないか。

ゆ:近所の人はYさんを知らない。事件前は、自治会の草取りなどに積極的で近所から評判よかった。事件後は、地域の中で守れる保証がなく意識的に繋げなかった。Tさんの場合はどうか。

フ:Tさんは以前の所に戻りたいが現時点では拒否されている。支援したい人はいるが、受け入れ先の準備はまだ。「出所後どうなるのか」という不安にTさんは苦しんでいるのでは。

岩:地域で「固有名詞を取り戻す」となると、Yさんだけなら難しい。他の利用者さんたちとやっていく延長線上にYさんがいれば。コンビニを壊した事例でも最初がそれだったら無理だろう。小さい頃から「まだ子どもだから」少し大きくなって「また起こすかも。原因を一緒に考えてもらえませんか?」その積み重ね。結果として「地域に助けられる」場面がとても多い。

〇小さい頃からの地域とのつながり

ゆ:今の利用者さんは、地域と小さい時の関わりの中で生きてない。意図的に作る必要がある。

岩:日常的にできることは多い。販売なら「お得意さん」を作る。「街で会ったら声かけてくださいね」と支援者が取り持つ。支援者自身も遠方に住んで地域を知らないことが多い。担っている人に「本人と自分と何か繋がりがないかな」と考えてもらう。地域との関係を繋いでいくことも「業務」の中にある。それでお金をもらっていることを伝える。

ゆ:かつては施設が来ることに反対運動もあった。それが、いつの間にか利用者さんに近所の顔なじみができた。最近は、隣の倉庫をリフォームして地域食堂、美術教室を開いている。経営は大変だが、今後も地域の人が入りやすい仕掛けを作っていく。

<おわりに>

懇親会では二部の司会・細井さんの隣に。障害者運動の本に載る「関西ゴリラ連合」出身だと知って盛り上がる。バスジャック闘争では、介助者は直前まで何も知らされず大変だったそうだ。こだまさんから「たこの木男子のドレスコードが酷い」とダメ出しを受けた。「いやいや、あの細井さんは[ジャケットにビーサン]でしたよ」と言い返す。

参加者の感想文よりほんの一部を。

  • タイトルに対して[地域の住民]が出てこない
  • 業務の話で、逆にもっと関わりたいのに管理者から止められ悩む
  • 双方向なのに障害のある人ばかりが苦手扱いとの話に納得

何度も聞いて慣れてしまった岩橋節ですが、所変わって新鮮に響いていた。めざす会としては、Tさんのまとまった話をしたのは今回が初めて。地元を離れることで話せることもある。また「合宿」やりましょう。