日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(29) 多摩スケッチ「登戸」

暗渠の愛好家がいるらしい。

フタをしたり舗装して道路になった川や水路のこと。向ヶ丘遊園駅ミスタードーナツの横の路地はフタをしたタイプだ。誰もが、迷いもなく、スマホの画面を見ながら入っていく。登戸方面への近道だ。

雨の日は水溜りができ、傘がぶつかるので、慣れた人は隣のコインパーキングの、フェンスの開いたところから迂回する。「危ないから、人の土地だから」そう、子どもにダメだと言いそうな道だけど、通りたくなる魅力もある。欲張って車通りを越えて進むと行き止まりになる。

ネットで調べると「愛好家」が登戸あたりを歩き回っている。

いつもは多摩川の北側にいる。川を渡って川崎市に入ると、歩くのに面白いところが多い。台地や谷間に道ができ家が建ち、田畑が街になった。きっと変化が急な時代だった。その時は、あるもので間に合わせたかも知れない。それが馴染むくらい時間が経って、歩くのが楽しい街になった。

登戸の泊まりの現場では、よく悪夢を見る。風呂の湯に髪の毛が無数に浮いている。頭を触ると手のひらに絡まる。大阪に向かうバス。異変に気づいて降りると、目の前で2機の旅客機が墜落する。これが一番大掛かりな悪夢だった。「絶望」をテーマに、定番からスペクタクルまで。来月のたこの木の大阪でのイベントと911のテロが合成されている。

近所を散歩しながら帰ることにした。でも、あまり寄るところは多くない。多摩川を見に行く。電車を使わず、何か必要ならダイエーに行く。退屈しのぎに河川敷で夕日を眺める。懐かしい昭和の時間が残っている。「登戸の渡し」の案内板があった。話題さがしに検索してみた。対岸の今の狛江市とはずいぶん争ったようだ。日が沈んで薄暗くなった。橋を渡って水門のわきを通る。暗い情報も出てきた。水門のそばの川の中で殺人事件の犠牲者、18歳の遺体が見つかった。

悪夢に続いて「ノック音」が聞こえる。鉄製の玄関を、いつも4回、軽く叩く。誰もいない。チャイムあるのになぜ叩く。原因はわからないけど原因はあると思っている。オカルトではないだろう。でもこの、陰があるような、すこし不吉な感じはなんだろう。

図書館で調べた。登戸・宿河原の歴史。図書館は眠くなる。泊まり明けでなくても眠くなる。ネットに慣れたせいで何冊もの本から抜き出していくのは大変だ。川が暴れて苦労した。土地改良して今の発展がある。歴史も文化も残ってる。ただ、当時の街道の賑わいは登戸駅の北側で、僕が歩く南側はずっと田んぼか梨畑だった。次に、住人といっしょに「事故物件サイト」を調べてみた。この部屋は該当しない。人口が多いので、近所にそれなりの件数はある。特別多くもない。不発。

相模原の事件の被告による手記が出版される。出版元の「創」という雑誌を読みに図書館に行く。政治・映画・サブカルと幅広い。ネットの軽めの記事ばかり読んでいるので、伝統ある編集の力を感じた。紙の良さもある。同じ文章を、1分で軽く読み飛ばすのも1時間かけて読み込むこともできる。それを5分にも30分にも調節できる。

好奇心旺盛な編集長は「サブカルの聖地」ロフトプラスワンにも関わっていた。東京ではトークライブが盛んだ。せっかく東京なので、たまに聞きに行った。その元祖のロフトプラスワンは、気になるけど気後れしていた。スケジュール表に並ぶタイトルが下世話すぎる。

「 住んではいけない土地・神奈川忌み地巡礼」

改めてスケジュールを調べた。これで登戸の「陰」のことが分かるかもしれない。結果を言えば分からなかった。分かったこともある。「ケガレ」や反対にパワースポットのような「場の力」には、とても惹かれるものがある。でも、突きつめると住める場所がなくなる。墓場があった処刑場があったというのは、悪い方にカウントされる。三角の土地はマイナス、T字路・袋小路もだめ、もっと言えば交差点も「3階以上」もだめ。風水の「陰」はイマイチだけど、陽との「境」がもっとだめ。もろもろ合わせて日本の土地の4割は悪い土地となる。

明るい話もある。汗をかくと浄化される。「スポーツ選手の怪談話ってないよね?」説得力があるような無いような。新興住宅地は悪い土地の場合が多い。でも「パワーのある」セレブたちが住みつくことで浄化される。

知り合いの犬は、暑くても寒くても散歩する。強迫的にマーキングしたい。それに似ている気がする。「いい場所か、悪い場所か」本能的にランクを付けたい。ささやかな好みから出発して「共同幻想」が増殖する。何かが汚れ、何かが浄化されて循環する。

生命の新陳代謝のように見えてくる。壮大だけど現代においては持て余し気味だ。話している彼らは真面目だ。差別的にならないよう配慮し、できるだけ根拠を示そうとしてる。その最終「一次資料」として扱われるのが「ある地域・職業に障碍者が多い(という伝聞) 」というのが定番になっていた。

スライドにショッキングな容貌が映しだされる。元ハンセン病患者の詩人・桜井さん。・・という名前は出ない。後遺症の多くは、特効薬プロミンの過剰投与によるものだった、とは知らされない。偏見が増幅される場所にいた。皮肉でもある。週末の歌舞伎町でオールナイトライブ。どんな悪い土地の1年分のケガレも一晩で浴びそうな場所で。

話を登戸に戻して、被差別部落の一覧も押さえてはある。近くにそういう地域はあった。だから何だというのか、それよりもっと面白いものを見つけた。地元の平井さんという方が書いたブログ記事だ。「舟島土地改良事業」の記念碑について調べたもの。

1965年に事業完了「理想の耕地完成せり」と高らかに宣言された。ほんの50年ほど前だった。それから都市化の波、それも津波のような価値観の変化に流されていった。理想を描いた農家は不動産に投資した。田園地域は変わっていった。50年前の航空写真を見た。ミスドの裏の路地は、田畑を潤す水路だった。