日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(25) PFウォッチャー日記(1) ピープル・ファースト・ウォッチャーとして

ピープル・ファースト(PF)奈良大会の実行委員会が始まるようです。2ヶ月に1度くらいのペースで委員たちが全国から支援者を伴って集まるというのは、なかなかのパワーが必要です。毎年の大会も盛況ですし、着実に活動を続けているように見えます。

もう一つ。仕事仲間と「当事者の話を聞く会をやりたいね」という話が出ました。東京のPFメンバーの顔が浮かびますが、同時に東京のPFの現状が頭をよぎります。相撲でいえば、横綱しかいない。観客もまばら。

私とピープルの関係は「追っかけ」というものでした。入所施設職員だったころは、外から情報を探していました。また「入所施設をなくせ!」というPFのスローガンを心の内に秘めて働くのは、集団処遇の論理に流されそうになる心の支えでした。その「逆張り」が、男子特有の中二病的な自意識をくすぐっていたのも確かですけど。

いまは支援者として入ることが増えましたが、メンバーのクセが強すぎて「ピープルとして支援」している気がしません。運動の全体像を把握できていないからとも思います。専門用語で研究することもできません。少し遠巻きに眺めている「ウォッチャー」という立場です。

各地域のPFは、それぞれの個性を出しながら精力的に活動しているようです。人が集まり、話題が途切れない一時の「ブーム」は過ぎたのかもしれませんが、活動として成熟しているということだとも思います。

残念ながら、施設職員に限らず、地域サービスの支援者にもPFに異論のある人は多いです。身の回りでは1/3は批判的、1/3はよく分からない、1/3賛成だけど謎めいているという割合かと。前の職場のベテラン職員は、一度PF支援者とやりとりしてから完全に拒否的でした。「施設反対」の主張に、自分を否定されたと感じたのかもしれません。PFの活動に関心のあった知人が、メンバーに質問したところ、理由はそこそこに「とにかく反対」と言うばかりで「支援者の意見を代弁している(させられている)」と違和感があったと話してくれました。

人に薦められて、能動でも受動でもない「中動態」に関する本を読んでいます。例えば依存症自助グループでは「自分の意思は信用しないが、仲間と回復に向かって進むことはできる」という(違っているかも)捉え方をします。矛盾でもなくてむしろ本来の人の姿とも言えます。知能指数を測られて、知的に「遅れている」とか「判断能力に欠ける」とされた人が「自分で決める」というPFは人間らしい中動態の最たるものだと思います。

最初の知的当事者運動は、90年代のADA法制定、自立生活運動の発展・快進撃?、権利条約の議論という波に乗って「ブーム」となったと思います。同様に、現在の意思決定支援の拡充、成年後見制度の普及といったテーマが大きく取り上げられる中で、再びPFなどの当事者運動が重要な問題提起をできるタイミングだと思います。意思とは何か、自立とは、障害とは?とりとめもなく書きました。今後も少しづつ考えを深められたらと思います。