日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(20) 無謀にも「人権」を考える(10)傍観者であること〜たこの木30年に寄せて

たこの木30周年の記念号で、それと知らず全く関係ない「仙人」についてけっこうな熱量で書いて、通信のなかで浮いていたことが今も引っかかっている。

10年以上この仕事をしている。介助技術もたいして無く、組織での仕事も苦手で、つくづく自分はしょぼい。でも1つだけ良い感じなのは、専門知識の無いうちから当事者に「教育」してもらったこと。最初バイトしてた時に「この仕事ちゃんとやろうかな」と当事者の友人に相談したら「前に利用していた法人が良かったから行ってみたら」と雑な助言をくれて、よく分からないまま電話をかけて「実習させてください」「資格の実習?」「いえいえ、そういうのじゃなくて勉強したくて」そんなのでよく受けてくれたと思う(愛知の老舗『愛光園』さん、ありがとうございました)。

ピープルファーストのことはPF愛知の植松さんに教えてもらった。彼は職場の施設のショートステイ利用者だった。不安症で「困った利用者」扱いをされていた(僕もしていた)が、不安症ゆえに新たな相談先を開拓しつづけて独自の全国ネットワークを築いたすごい人。

施設の仕事に挫折しかけたときにピープルを知って「この仕事は面白い」と思った。本人には冗談と取られるけど、割と本気で「植松先生」と呼んでいる。たこの木も植松さんに教えてもらった。10年ほど前に旅行の途中事務所に寄った時は「えっこれだけ?」と思った。あの膨大な発信量に比べスペース的に、という意味で。はてなのたねヘルパーになってみると再び「えっ(略)」組織体制として(労働環境として・・)。

もともとリーダーシップに欠けて傍観者であることが多い。たこの木ではさらに「積極的」に傍観している。「なぜ福祉の仕事を?偉いわねえ」と、よく聞かれる質問。今は介護者不足が「国難」扱いなので聞かれないのかな。それと似た、興味本位で偏見も混じった目でたこの木を見ている。「集まってくる人たちは何なの。何でそれでやっていけるの」岩橋さんは「また現れた」という風に、そんな野次馬を「たこの木の追っかけ」と呼ぶ。

「フィットする支援を考える会」に顔を出している。自己紹介では、失礼と知りつつ「テーマよりも会のコミュニティに関心がある」と言った。テーマは重すぎて自分の容量を超えている。「関わった以上放っておけない」それだけで見返りも考えず多くのメンバーが集まる。不思議だ。もちろん「偉いわね」なんて言うつもりはないけど、失礼を承知で「面白いなぁ」となる。30年耕した土には、そんな変なものも生えるようになった。ぼくが傍観するのは、優柔不断で何が正しいか決めかねているうちに考えるのを止めて、でも気になって見ている。

更生教育に取り組む岡本茂樹さんの「受刑者の人権は守られるべき(ただし身内が被害者の場合は別)」という率直な告白を読んで何かが変わった。直感と「正しそうなこと」が違っても、考えることは止めなくていい。世界は思っているより複雑で、常識や正しさは変わっていく。

「平和ボケ」が悪いのは、愛国心の無さではなく、物事を単純に捉えがちなことじゃないか。これは優柔不断男の言い訳ですが。知花さんや沖縄の人の行動が理解できない時は、「沖縄差別はひどい」と怒りつつ「でも何か企んでるんじゃね?」と警戒は解かなければいい。単純に「日の丸=愛国心」と思えば理解できなくても、少し調べれば「平和憲法」と「皇民化教育」という、かけ離れたものを象徴していた。

誰が始めたのか「天使と悪魔」が脳内でささやくイメージは自然だと思う。コスプレは違ってもシルエットはほぼ一緒。奴らの中身は同じに見える。戦争には反対だけど、世界大戦がすべてを破壊した結果、格差の少ない平和な暮らしを享受できている。朝鮮半島は意味不明で「目の上のタンコブ」どころか致命的な腫瘍になってる。でも朝鮮戦争で敗戦国→同盟国に格上げされ、その後の平和と繁栄は彼らの数百万の犠牲の上にあって本当は足を向けて寝れない。原爆投下は「人体実験」だと思うし、人種差別もあったと思う。でも逆の立場なら賛成しただろう。原発反対、だけど容認派の「交通事故や大気汚染のリスク」との比較も全部否定できない。優柔不断で情けないけど「信念を貫く」よりも精神衛生にはよい。悩みがちな方はお試しを。