日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(18) 無謀にも「人権」を考える(8)「仙人」はなぜ山に住むか

人はなんでこう弱くて壊れやすいのか。適応力が強く地球上でもっとも繁栄している生物のはずなのに1人ひとりは弱い。生まれつきの障がいもある。そうでなくても適切に育てられなければ苦しさはずっと続く。

実習先の精神科病棟で患者さんに話を聞いた。元気なころの仕事ぶりと家族のことを楽しそうに話す。そんな人が閉鎖病棟に長期入院してる。人生後半、仕事にまつわる危機を振り切ったと思ったら、長すぎる老後の孤独と生活の不安が人を壊そうとする。

呼及舎のこだまさんに誘われて野宿者支援の現場に行っている。徹夜で夜間人口を数える「ストリートカウント」に行った。チームには学生3人。建築学社会学の留学生、外語専攻。社会の複合的なひずみが現れるので貧困・都市計画・住宅・福祉など関わる人も多様だ。市民参加も大きなテーマなので「よく分からないけど見聞を広げたい」というロシア語専攻の彼も大歓迎である。

20年ほど前。田舎ものに都会は刺激的。四国から大阪に出ると、まず阪急電車からの眺めにクラクラした。実家では遠くを見渡しても山か田んぼかビニルハウスが背景となる。排気ガスに霞む遠さまで家やビルが続くと、脳が何とか処理しようとして疲れた。ホームレスも同じく。風景の中にあまりに異質だった。当時は何も知らず「自由な放浪者」として憧れも含みつつ面白がって見ていた。

ある時「警視庁24時」とかの影響でバイオレンスな都会の夜を見たくなった。「週末がすごいだろう」と思って終電で出かけたが、日曜の夜のアメ村は静かだった。週末に日曜は入らないらしい。途方に暮れていると「兄ちゃん100円貸してや」と声がかかる。その「山ちゃん」というホームレスのおっちゃんと梅田まで歩いた。明るくなるまで何かと話して別れた。「兄ちゃんは奇特なやっちゃな」と言われた。お礼をしようと千円札を渡した後で、それが良かったのかしばし悩んだ。朝まで付きまとったわけで「取材料」として妥当だと今は思う。

10年ほど前。愛知県にいた時に「平成の仙人(自称)」に出会う。数年おきに全国版のゴールデン番組で取り上げられていたので知る人も多いはず。山中にこもってヌンチャク道を極めつつ「いじめられっ子」支援に取り組む武術家(自称)。地元ではスーパーや喫茶店に出没し、携帯でTV局とアポをとる「カジュアルな仙人」として知られていた。

職場のイベントの余興を依頼しに、郊外で聞き込みをして探した。なぜか気が合って、足腰の衰えた仙人の足代わりに車を出し、僕のほうも「義理の祖父か父」という感覚で買い物や食事につきあった。思い出は多い。

仙人が不在の10日間ばかりネコの世話を頼まれた。仕事帰りに真っ暗な森に入っていくのは怖かった。毎晩、写メで愛猫「ムサシ」の無事を伝えた。(仙人のあこがれは宮本武蔵)途中ムサシは姿を消しエサは他の動物に荒らされていた。

相手は、当時アイドル的イメージから「侵略的外来種」と認識され始めたアライグマの集団だった。竹を振り回して追い払った。闇の中に、距離を取ってこちらを見つめる10ほどの目が光った。あれは手強い。避難していたムサシは数日後に戻った。世話など要らないノラネコを過保護にしたのは、豪快そうな仙人がとても神経質だったから。

学生がドキュメンタリー映画を撮りに来ていた。仙人の故郷であり尊敬する宮本武蔵ゆかりの熊本を訪ねる旅。けど、様々な理由をつけて出発できない。最後には「ネコを放って行けない」と言い出した。ロケの成功を祝おうと帰りを待つ。だが、戻った撮影チームは崩壊しかかっていた。山から出ることは「下界におりる」。下界は気が休まらないようだった。下界のロケ旅では一段と気難しくなった。

監督たちは「仙人」ではなく本名アサヤマさんとしてプライベートに迫ろうとした。1年以上かけ何十日も泊まり込んでいた。内面に踏み込むほどに溝は深まった。最後は仙人が学校に乗り込んだり、要求がエスカレートして揉め続けた。当初、仙人を尊敬の目で見ていた監督は、終盤「自分は利用された」と死んだ目でつぶやいた。

・・そう、「被害者」は多い。「豊田の仙人」でググると出てくる「珍スポット紹介サイト」では「理不尽な要求をしてくる」と注意喚起が付く。熱心な協力者もいるけれど、家族を含め人間関係には苦労が絶えない。でも自ら山に入っていった監督やサイト主が「被害者」でいいのか。(珍スポット&人物ウォッチャーである自分としては、つねに「好人物が歓迎してくれる」と思ってるサイト主はウォッチャーとして甘いんじゃないかと)

仙人はなぜ山に住むのか。自分が社会的に異質だと理解するからこそ、排除されたり逆に庇護もされない、自分を壊されず、他者とぶつからない絶妙な世界を作り上げた。下界で耐えて暮らすより、また屈辱的な「サポート」を得て生きたくもない。武術家らしく「己を知って」生活拠点は山に、でも昼間は町中に出没し気の合う知り合いもいる。

スマートな感じは皆無なので、動物的な「身のこなし」という感じ。そこに割り込んだ「被害者」に同情できない。「ジャングルで共存していたエボラウイルスを持ち出した奴が悪い」当時、学生監督にした説明した例え話。ひどすぎる(笑)ので今回やり直したかった。人は弱いけど、強くなれなくても、こんな鮮やかな身のこなしができる。そこには崇拝の対象の本来の「仙人」がいる。ただ、半年前から行方不明で音信不通になった。仙人流が寄る年波に負けたのか。カドが取れて、山を下りても大丈夫になってるならいいけど。仙人目撃情報や「仙人の映画観たい」など。