日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(16)無謀にも「人権」を考える(6)5/27相模原での集会〜献花台の前はリングとなった

「僕らの家なんです。地域なんです。見に来てください。『収容施設だ』なんて園を見ていない人、利用者の顔も見たことのない人が言っている」

孤軍奮闘するのは、津久井やまゆり園の元家族会会長の尾野さん。表立って発言を続ける、被害者家族で唯一といえる方。会場からは「入所施設の実態を歪めている」と批判が飛ぶ。加えて「選んで入所した人はいない」、「イタリアでは施設解体が云々」と一連の流れ。

先月末の「津久井やまゆり園を考える相模原集会」では、正面に犠牲者全員の祭壇が並び、講演を中断して献花する人がいた。異色の会だった。知り合いの言葉によれば「かなり荒れた」。参加した印象では、主催の西さんの「豪腕」により通常あり得ない組み合わせが実現した。

上の世代の家族と、入所施設を無くしたいCILなど。西さんは、入所者の地域移行を提案しつつも、建て替え派の尾野さんとも対話してきた。チラシには「話し合い続けることで理解しあうことが大切」と書いてるけど、方法は穏やかでない。

県の検討会が出したGH移行案に難色を示す尾野さんに、岡部さんの「自立生活という選択肢」をぶつける。会場からの質問に「表現が不適切」だとか逐一訂正する西さんのワンマン司会ぶり。

一括りに「家族会」といっても、前職の小さな法人でさえ「入所できてよかった」世代と「最低でもGH」という若い世代がいた。尾野さんは「個人的意見でなく家族会の総意」だと繰り返し言う。強調するのは、裏を返せば、同じ「家族」でも団結して力を持つことはできず、批判されるときは一括りにされる立場の弱さなのかもしれない。

障がい者団体なら、適度に棲み分けされていて利害の一致するところで「共闘」できることもあるかも知れない。福祉=入所施設という時代に必死に施設整備を頑張り、一安心したら子どもを傷つけ殺され、「元に戻して」と言えば「時代遅れ」だとか、我が子の権利を侵害をしている悪者のように扱われる。

被害者で犠牲者なのに、同じく犯人に傷つけられた「被害者」と殴りあってるようだ。でも両者が離れて溝を深めるのでなく、リングに西さんが上げたことは希望だとも感じる。介助者になって従来型福祉から当事者中心業界へ「移った」と思っていたけど視野が狭かったな。尾野さんは勇敢だし先輩たちは器が広い。やや強引だけど。

「出羽守=ではのかみ」はやっかいだ。かつて「デンマーク出羽守」が同時期に2人いて少し疲れた。じつは説明ベタな自分こそ出羽守になりたかった。留学してた彼らの説得力が悔しかった。少しズルいけど今回は役に立つ。世界の中で、日本の知的と精神の入所・入院の異常な多さは明らか。ハンセン病政策の行く所まで行ってしまう傾向も同じく。尾野さんたち家族は、その犠牲になった。直すべきは政策なので共に闘っていけたらいいと思う。

長野県の地域生活移行では「だめだったら必ず帰ってこれる」という「念書」を作った。それが家族の了解を得る決め手だったと聞いた(古い記憶ですが)。・・と書くと「頑なな家族を説得する技術」のようで違う気もする。

前の職場で、家族に日中活動の大幅な改革について説明する会があった。当惑する家族にアドバイザーのSさんは、かつての家族会による「小規模作業所」の大きな役割を評価し「作っていただいた土台の上に新しいものを建てる。先人たちが居なければできなかった」と話した。その場にいて「この人だったら信用できるし、その下で働きたい」と感じた。雑ですが気持ちって大事だと思う。それが上司や先輩ではなかったのが残念ではある。