日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(15) 無謀にも「人権」を考える(5)この場を借りてお礼を

食品スーパーにて。1人目は店員さん。見覚えのある「肉シューマイ」の紙パックを持っていた。「目の前に落っこちてきてね。びっくりしたよ!」笑っていた。

さっき天井に向かって放り投げて、陳列棚を越えていったやつだ。引きつった笑顔を作って謝り、「早くモノを預かっておけば」と後悔する。スマホの「介助で気をつけるリスト in Evernote」に加えたいけど今は無理。介助中のA氏がパニックに突入しつつある。

2人目も店員さん。警備要員の社員さんかな。「お手伝いは要りますか?」A氏が商品に突っ込まないよう腕を持ちつつ話す。助けに来てくれたのに失礼な話だけど「対応する相手が増えて大変(T_T)」と思う。

教科書通り、本人の思いを受け止め解きほぐそうとするも、少ない介助の引き出しはすぐ尽きた。「やり取りしつつ外に出る(≒脱出)」しかない。A氏も負けじと寝転がってヒートアップする。この状況はいつになっても慣れない。周り全て敵になったようで孤立感は強い。こちらに関わって来てほしくないし、きっと周りの客たちも関わりたくないだろう。

このレトルト食品売り場にできた「異空間」ごとワープできたら良いのに、と現実逃避する。その壁を突破して来た女性は、寝転がってる僕らに目線を合わせてしゃがんでいた。A氏の目を見て「どうしたの?大丈夫?」福祉関係者に違いない。ついで僕を見て「もうちょっと・・〇〇法とか(慌てていて聞き取れず)話を聞いてあげては」とアドバイスを頂く。力づくで下手くそなのを見かねたようだ。

ふと「パニック中でも第三者の話は耳に入ることがある」と思い出し、女性と一緒に「座ってジュース飲もう」と誘う。女性は紙コップを店でもらってくれ、休憩所でしばし見守った後に別れて自分の買い物をしに行った。その帰りに外でまだ揉めていた僕らの様子を見に来てくれた。

「かえって本人を混乱させてしまうのだ」などと理由を並べて、自分なら助けに行かない。だから、一瞬だけど「上司みたいな人が現れて面倒な」と思った。こんな介入ができる人は尊敬しつつも自分には理解できないので苦手だった。経験上、信条を押し付けたり誇示するタイプが多い。

認識は変わった。パニックの火はくすぶり続け、映画「バックドラフト」のように帰宅後爆発するのだが、冷静でいられた。女性の愛あふれる対応の余韻が残っていた。デパートの服売り場の大立ち回りの時は、ヘルパー始めて間もないころでもあり、「2,3人叩いちゃった人のうち誰が通報するか」、「床に撒いたブラジャーの分も請求されるのか」、「たこの木反対運動が起きるのでは」と頭真っ白になった。あの時に警備員に案内された休憩室では、社員が「外商」スタイルで予算を聞いて商品を選んでくれた。

あの惨状を見たはずの若い警備員は優しい笑顔で本人と世間話をしてくれている。その時代であれば切腹したい。「出されたお茶を飲まない」行動で小さな誠意を示す。世の中捨てたもんじゃないとか、サービス業のプロ精神の話ではない。反対運動が起きたり、出入り禁止になることもある。運が良かった。

ヘルパーという仕事の怖さでもあり、同時に他にない役割が含まれてる。魅力もある。2人のスタッフが4,5人の外出支援をするとなると何か起きれば組織の話になる。ヘルパーだって組織で管理してる以上同じだけど、見た目は違う。聞かれれば責任者は岩橋さんと答えるけど、弟のような甥っ子のような顔をして街に出られるのは特権だ。

認知症になったら安楽死」というトピックを目にする。発端となった文藝春秋の記事を読んだ。「実の親が汚物を塗りたくり」介護地獄の報告が並ぶ。死や介護は人生観に関わるので簡単ではない。でも「表現の自由の先に死を選ぶ自由がある」とかっこつける作家や映画監督たちは残念だ。認知症ケアの進歩も知らない、多数派の「進歩し続ける」世界を降りた障がい者や高齢者の豊かな世界も知らない。「人間」のごく一部しか知らないで表現や自由を語るな。ヘルパーの特権を使って、世界を隔てる壁に穴を開けよう。