日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(14) 無謀にも「人権」を考える(4)まだ戦争は始まっていないようなので・・

「認知的不協和(矛盾に苦しんだりゴマかしたりすること)は、人間の欠陥ではなく、文化を打ち立てた必須の長所だ」

−−話題の本『サピエンス全史』を読んでいる。40歳も迫るのに迷走ぎみな今こそ読んでみたいと強く思い、買ってすぐ出品し、売れるまでに読むという「強制読書」の体制で臨む。人気があり翌日には売れてしまって大変だった。

「自由と平等」も実は矛盾だ。欲のままにすれば平等にならないし、誰もが同じなら自由はない。範囲や制限を付けて共存させたり、党派に分かれて議論を戦わせる。キリスト教と騎士道という相容れないものが、十字軍や「アーサー王伝説」などの新しい物語を経て西洋文化は発展した。日本で言えば、仏教、神道、お盆の土着信仰という棲み分けとか(むしろどれも力が無いからか)、明治の西洋文化終戦後の価値観の変化とか。

沖縄、対馬と大国に挟まれた認知的不協和のパワースポット(不謹慎?)を訪ね、これが世界の大多数の常識だと思った。僕ら本土日本人が特殊なのだと。お隣の半島は千年の単位で不協和が日常なはず。この溝は埋まるのか。

そんな時に半島は臨戦態勢となる。日本も攻撃目標。15日が危ないというデマのような予測記事。ふと「通信の発行日の前か...」と思う。東京に着弾する前に何か残さないといけない。何十人か死んだら、社会が尊重してきた価値観は変わるだろう。そう強くない自分も変わるだろう。実際に国土が攻撃されるとなると、高みの見物をしていた本土日本=東京の自分たちの矛盾が暴かれる。

安全保障に関しては認知的不協和の世界標準だと思う。首都中心から20kmに外国軍の基地がある。その横田基地を走るマラソン大会に出た。ラストスパートを一休みして噂に聞く「国連旗」をスマホで撮る。米国と日本の国旗に並んでいる。朝鮮戦争のための国連軍(憲章7章に拠らない)の後方司令部がある。

朝鮮戦争が1950年に始まり、日本が主権回復するのが1952年で、もっとも国連軍≒米国が劣勢の時に講和の交渉がされた。1947年に新憲法ができた。9条は、正式な国連軍が国防を担う前提でマッカーサーが入れさせた。すぐ冷戦が始まって国連軍は機能しなくなる。そして占領中の1950年には海上保安庁が掃海任務で戦争に参加し、1951年には、米国の「将来軍隊にする」意図のもと保安隊が作られた。憲法が実質有効になる前から骨抜きになっていた。最初は「基地は日本を守るために最小限」だった安保条約案が、主権回復と引き換えに譲歩を続けて、全国どこにでも配備でき目的を問わず世界中に出撃できるようになった。

9条や平和主義は、時代に合わないとか、理想論だとか、そもそも自衛隊核の傘に入っていることで壮大なウソでしかないと言われる。その通りと思う。沖縄の軍事基地化という国連憲章違反のクロを白に変えるため日米が裏で努力してきた。朝鮮戦争の特需で「奇跡の」復興をとげた。

矛盾だらけで後ろめたいことも多々あるけど、もっと選択肢はあったのに、結果として平和主義を70年続け、そこから最大限利益を得てきたことは誇りに思っていい(沖縄の人に悪いけど)。政治家の保身や市民の無関心も含めて平和の力を示した。今後情勢は変わるだろうけど先人の「成果」を忘れないように本の引用。

キリスト教徒がイスラム教徒を理解したいと思ったら、彼らの価値観を調べるのではなく、ジレンマに揺れる衝突こそ見るべき」。