日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(13) 無謀にも「人権」を考える(3)反省:「弱さ」を実感した2016年度

3/6福祉新聞「37歳の職員の後頭部を床面に打ち付けて...略...39歳の職員には顔面に暴行を加え、眼底骨折など全治2カ月のけがを負わせた」津久井やまゆり園のU容疑者。

あれ?『職員は絶体に傷つけず』(大島議長への手紙)じゃなかったのかい。ボコボコにしてる。

1月にはNHKが犠牲者のエピソードを集めたサイト「19のいのち」を公開した。自分が想像していたのと違った。前職の施設で出会ったような人たちだった。毎日新聞の「ヘイトクライムとして拒絶せよ」という記事を読み、Uの主張にとらわれちゃいかんと思いつつ、記事を切り貼りして「手紙」を復元して何度も読んだ。しっかり思うツボにはまっていた。

同じ「障がい者」でも、バラリンピックに出たりピアノで人を感動させられる人は狙わない。分離教育で障がい者と会わないから理解が進まないと言う。「幽霊」のように、姿が見えないと想像が膨らむ。主に悪い方に。僕ら福祉職は、その「ブラックボックス」の中でよく見えるかといったら、その中の入所施設もボックスになってる。

「本人も辛くて、職員も受け止めきれないような特別に大変な人がいるのではないか?」知る限りでは、辛い時期もあるし受け止められない時期もあるけど、良い時もあって大抵は慣れる。

入所施設業界にもボックスがある。「対応困難な人を集めた」とか「刺激で行動障害を起こす」と一日中カーテンを閉める施設があると聞く。噂も混じって謎めいてる。事件の施設も「県内の重度者を集めた」と言われ福祉職にも想像できないような状況があったのかと錯覚する。山間の小さな町の、そのまた町外れの川沿いの崖に張り付くような立地も、それをかき立てる。

対象者を選びぬいた上で手順通りに粛々と「計画」を実行しているようだった。手紙で唯一正気に返ったような「重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない」という文を、つい深読みしてしまう。福祉職の自分がこれだから、他の大多数の人への影響は大きいだろう。信じていたものが壊れる不安を感じた。

Uの「悪のヒーロー」像を勝手に作り上げて恐れていたし、主張に沿った「重複障がい者」像も頭の中にできつつあった。実際に「命の選別」が進行中の分野である出生前診断や、安楽死、そして「最も重い」とされるALSや重症心身障害の本をかじった。相手を説得できる答えがないかと思って。社会が敵に回るような感覚があった。

実際にはUは職員を暴行していたし、被害者は「身近にいそうな」人たちだった。Uの狙い通りに意味のない対立を自分で作っていた。従来の福祉や人権の理念による説明の「弱さ」を実感した今年度でした。

同時にトランプさん等が一度シャッフルしたおかげで視野が広がった気もします。右や左の対立は分かりやすいけど本当のところは理解できない気がする。社会保障生存権など人権を守る制度だと教わりますが「なぜ守るのか」は自明ということなのか習ってない。おそらく「泥臭すぎて」教科書に載せにくいのだろうと想像する。

貧困対策は治安維持、公的年金・保険は貯金させない景気対策、高齢福祉は選挙対策。「欧米では」の共生社会カナダは隣国に介入されない安全保障、北欧福祉国家だって戦争にあけくれた歴史を反映してると思う。