日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(11) シセツ職員もつらいよ(11) 無謀にも「人権」を考える・コンビニレジ編

トランプ当選が決まった日は「民主主義はすごい。革命で血が流れるでもなく平和的に揺り戻しが起きる」と少し感動した。そうならないように、権力者はより慎重になる。でも学校で「メキシコに帰れ」など差別的ないじめが増えたと聞いて、やっぱりダメだ(感動したと人に言う前でよかった)と思い直す。修復できないのに溝を作るやり方は。

「ポリコレ」「人権」が劣勢である。先進国共通の価値観だと信じていたけど違うようだ。福祉業界にいると、基本的人権とは「高い所の物は下に落ちる」くらい当然の原理なので、それが揺らぐと不安になる。でも「疑ってはならない」のも違うんじゃないかな。疑うと同僚から汚物のように扱われたり、上司から福祉協会の「ForBeginners」という冊子か、ノーマライゼーションの分厚い本を渡される。「勉強が足りない」というわけだ。

相模原の事件の時、父が「ナチスと同じ思想だ。許せん」と怒っていた。ふと「ドイツが勝っていたら許されたのか」と思った。安楽死や差別を扱う本をかじっては投げ出す。そんな中で、ヘルパーになじみ深い「コンビニレジ問題」が面白かったので紹介する(※1)。

車イスに乗った障がいがあると思われる人と、ヘルパーらしき人がレジに来る。車イスの人が店員に財布を出して「ここから取って下さい」と言う。店員はヘルパーらしき人を見て「取っちゃっていいですか」と聞く。論文自体はエスノメソドロジーという会話や目線を分析して、最も小さな人間関係から社会を読み解くという難しい話だが、その「状況」に心奪われてしまった。

筆者は「子ども扱いし、自己決定権を奪っている」という意見を取り上げ、店員がなぜ「差別的」ともいえる対応を取ったのか、「本人以外に許可をとるべきだ」と判断したのはなぜか、と執拗に分析する。ヘルパーでコンビニファンでもある自分は、辛くなる(最近のコンビニのサービスはすばらしい)。

最近トラブル続きのダメヘルパーが言わせてもらうのは恐縮だけど「ヘルパーが下手」と思う。店員と目線を合わせている。「この人は判断能力がありません」とアピールすることになる。逆に「やったほうがいいアピール」もある。人ごみをかき分けて車イスを押す時は、移動が難しい当事者をヘルパーの能力でサポートしてる。むしろ「安全に配慮してるよ」と周囲にアピールしてもいい。「罠にかけられた」店員がかわいそうでしかたない。

他人の財布のお金を触ることは、分かりやすい「権利の侵害」で、ふつうは躊躇する。「大丈夫なんで一発殴ってください」「大丈夫なんでお尻触って」と言われてもふつうはやらない。5秒後に警察呼ばれるかもしれない。一方で、店員はヘルパーの被害者だけど、障がい当事者からは「差別者」だ。差別を善悪の問題にしてしまうと見えにくくなるし、ポリコレ批判派と対話できない。トランプさんに負けないよう、しょぼい頭で足元を疑ってみます。

※1「差別と共生の社会学