日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

シセツ職員もつらいよ(10) 年に一度のチャレンジ

久しぶりに施設に暮らす友人に会った時のこと。2人とも自立生活への希望があり、東京に来て介助者を始めて1年経って、何かいい助言や提案ができればいいと思っていた。以前と変わらず2人とも頑張っていて、助言なんてできない。必要なのは、末永さんがよく言うように「誰が責任を取るか」という支援側の覚悟のようなもので、本人たちは十分すぎるくらい、制限の多い環境で自分らしい生活を作るために頑張っている。

9月のピープルの大会。会場に着くと、知り合いが駆け寄って「どこに居たの?Sさんが大変だよ!」と慌てている。「介助者の荒木、至急受付前に来るように」と館内放送もかかっていたそうだ。早朝施設を出発するために絶食状態で倒れたとか、車いすごと階段に落ちたとか想像した。受付前で電動に乗ったSさんが弱々しくほほえんでいた。本人としては「受付をしたいのに、介助者がいないと大騒ぎになって困った。受付させろ」

Sさんの自立&自由な生活への思いは強く、CILで生活体験をしたり、1人で夜の名古屋の街に出かけて迷子になり警察に保護されたりしてた。介助者もなく単独でできることが、訓練でもあり自由を感じられる時間なのだと思う。そもそも長時間1対1で人が付くことは(現在はできなくなった)年に一度の旅行くらいしかなく、地元のCILに相談するとヘルパー不足の話ばかり聞くので「ヘルパーは最小限しか付かない前提で生活できるようにならねば」と考えている。神戸大会では、受付で事前申し込みしてないと分かった。手続きしようとすると「自分でやると決めてきた」と言って1人で受付に。

数人のボランティアさんが熱心に付き合ってくれて受付を済まし、介助者の名札などを渡してくれた。Sさんは施設暮らしを「ぼけた生活で自分がダメになる」と言う。昔は身体障がいの団体のイベントによく行っていたけど、今はピープルの大会が一番楽しみらしい。意思疎通が難しいだけでなく考えをまとめるのに時間もかかることもあり、小難しい?身体当事者の話よりピープルの雰囲気が合うようだ。あと自分のコミュニケーションに付き合ってくれるという安心感もあって、受付を自分でするのが年に一度のチャレンジでもあった。

本人の思いとはうらはらに「周りから心配される」条件が揃いすぎて自由行動ができない。電動イスの動きがフラつきキーボードの文字もゆっくりで伝わりにくい。本人の意志とは関係なく普通の顔が「困っている」表情に見える。そのへんを「心配されない見た目」にするのも支援なのかと考えたり。

帰りの名古屋駅介護タクシーを待つときに、念のため「何かあれば電話下さい」と僕の連絡先を電動車いすに貼ってみたら、しばらくして通りがかりの女性から「困っているみたいだけど大丈夫ですか?」と電話がかかってきた。日本も捨てたもんじゃないと思いつつ、Sさんの「心配させる能力」の高さに感心した。

右の写真は、もう1人のTさんの無線でPCの操作ができる自作装置。電動車イスに付けたスイッチの信号をを赤外線で送る。移動とPC操作はできてもケーブルの抜き差しに人を呼ぶか待たなければならない。1日最低4回はあって本人も職員もイライラポイントになる。10年来の課題を県の福祉用具センターに相談を続けて解決した。長時間の介助ばかりしていると、介助者がそばにいる」ことが当たり前になっていて、「1人でできなくていいのに」と思う。

CILでよく言う「介助者に指示を出してうまく使う」ことができてなくて、指示もテキトウでうまく使えてなくても自立生活をちゃんとしてる人たちがいるので、2人にはぜひ見て欲しいと思う。同時にSさんの「努力」というか「生き様」も伝えていきたいと思う。