日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(8) シセツ職員もつらいよ(8)「目的は何ですか?」

夜行バスを降りて10分も歩くと高松港だ。

受付で聞かれた。「島に渡る目的は何ですか?」

私「目的が必要なんですか?」

受付「面会だとか見学だとか、目的がないと乗れません」

私「芸術祭の企画を観に」

受付「芸術祭はだめ。芸術祭の方で聞いて」

実家に帰る途中、元ハンセン病療養所「大島青松園」に寄った。受付を間違えていた。瀬戸内芸術祭のガイド付きチャーター船が、会期中は毎日出る(会期外も月に2日間)。明治・戦後と2つある「らい予防法」のうち1907年のものに基づく古い療養所だ。周囲7kmの小島には療養所しかなく、島に渡るにも「理由」が要る。増えすぎた地域興しの芸術祭を批判する声も聞くが、この件だけでも大きな社会貢献と思う。

なぜここまでエスカレートするのか。当初の目的は浮浪者の収容だった。前述の法律にも「保護者がいれば収容せず引き取らせる」とあり、収容されたのは全患者の約1割だという。それが地域から全てなくそうという「無らい県運動」のように広がった。1931年「懲戒検束規定」には、秩序を乱す「恐れがあれば」監房に2ヶ月まで監禁できるという、ひどい規則がある。「素行不良」の患者を送る草津の特別病棟もできた。強制入院は、戦後に制限されるどころか法律に明文化された。

法改定に向けた「3園長の国会証言」には今にも通じる味わい深いセリフが詰まっており、ぜひご一読を(以下要約文)

【宮崎園長】「(戦後民主主義の)今の時代では予防の徹底(強制入院)は現行法に規定がなくできない。心配なくやれるようにして欲しい」→知事の権限だと明文化。「患者のいわゆる自由主義のはき違いで(略)拘束を受けるいわれはない、(略)同じ伝染病で結核患者は自由に出歩くことができるのに、(略)というようなことを申す」

【林園長】「家庭内感染を防ぐために(非感染の)家族の断種手術を進めるべき」

・・1948年の優生保護法ですでに患者の断種は合法であり、その範囲をさらに広げようとするもの。居住区から離れた丘の上に「宗教地区」がある。仏教各派、キリスト教などの施設が並び、島で一生を終える患者の仲間づくりと心の平安のための福利厚生施設というもの。ふと「仲間がいて、死後の不安が和らげば幸せといえるかも」という考えが浮かぶ。宗教の持つ力は大きいと思う。

同時に「予防」のためとされた諸制度は、実質「絶滅」政策だった。自分が生まれた現代においても、民主主義の法に組み込まれて「福祉」の顔をして最近まで続いていた。普通の人間が制度にのっとって、ここまでの非人間的なことをできるというのは、遠いナチスを例に挙げなくても身近にあった。

全国旅しましたが瀬戸内の島々は格別です(地元びいきです)。芸術祭は11/6まで。1日でも直島か豊島に絞ってパスポート無しで◎