日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(7) シセツ職員もつらいよ(7)どれいのしあわせ

NHKの『バリバラ』。24時間テレビにぶつけた生放送が話題になった。面白いんだけど、以前は気になりつつも少し避けて観なかった。「家に帰っても仕事のことを考えたくないから」だと考えていたけど、今は普通に観られる。おそらく、施設での自分の仕事が「指示・管理」に傾きがちで、当事者レギュラー陣の自然で自由な掛け合いを見ると「お前の仕事は無意味だ」と責められる気がしたのだと今は思う。

「自立生活の介助職になって、偏った関係が修復された」と書けば美しい。「介護でなくて支援・介助」と言葉上は薄めても、健常者の絶対的な優位でなりたつ場面はまだ多い。同じ自立生活でも、知的の人相手だけだったなら、まだ『バリバラ』を観れてないかもしれない。ここ半年の新たな利用者に徹底的に指示・管理「された」ことで偏った関係が逆になっただけのようだ。

「奴隷の気持ちがわかる」と思ったこともある。たまにホメられると幸せを感じるようにもなり・・バランスの取れた関係は難しい。。福祉番組は観なくても友人のボラ介助によく行った。泊まり明けでも行き「よくやるね」と評価(含む・暇だね)された。けど「管理人」を演じることの多い職場を離れ、身体当事者の明確な希望にひたすら応えるのは気分転換で仕事の疲れが取れた。

「24時間TV、好きじゃないです。荒木さんはどうですか」10年も前、新人職員から聞かれた。学生時代CILに関わっていた方で、持論があったのだろう。自分は何も知らず、若い子にいいこと言いたかったけど出てこない。「福祉の人はこう考えるんだ」と新鮮だった。それから自分も染まって立派な「福祉の人」となり、24時間TVと聞くと遠い目で「障害は特別なことじゃない変わるのは社会なんだよ」と思ったりした。

障害アートのブームが来た。様々な切り口があって面白いけど「自閉症の特殊能力」といった紹介も多く、またも遠目で見守っていた。職場にもブームが来て、思わず「何千円か出すから欲しい」と担当者に頼むほどすごい作品もあった(何万でないのが福祉人の限界か)。作品を見て「この人にはかなわない。バカにできない」と、ふと思った後「ということはバカにしてたのか?」と自己嫌悪ぎみに。わが人生「かなわない」ことが普通だったのに。近くで寄り添うことで麻痺する感覚もある。

24時間TVも、変化は必要にせよ、同様の刺激を届ける発信源としての役割もあったのかなと今は思う。NHKによると「けなげに頑張る感動ドラマ」は「国連障害者年」のキャンペーンがきっかけだという。その時代、財源など微妙な議論もはらむテーマを、広く社会全体にアピールする苦心の一手だったと想像する。単なる告知では伝わらないし。権利条約など、国あげての大キャンペーンに付きまとう課題と思う。