日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(6) シセツ職員もつらいよ(6)「軍手しなきゃ」

事件のあった相模原の施設に花を供えてきた。

第一報を受けた時「容疑者のことをあまり報道しないでほしい」と思った。それは、単純な嫌悪感や「当事者の不安をあおる」からだと漠然と考えた。多くの反応の中で、「ヘイト・クライムとして断固NOを」という意見に共感した。

うまく説明できない感覚を代弁してくれた。攻撃されたのは健常者も含む社会全体であり、差別思想による犯罪は、民主主義のこの国の敵であるはず。障害者や福祉だけの話ではないのに、容疑者の手紙や思想を広めて犯行に「手を貸している」ように感じる。

障害当事者のショックは癒せなくても孤立を感じてほしくない。被害者は私たちの身代わりになって傷つけられた。一部の差別主義者をのぞいた大多数が、被害者と関係者の味方だ。その認識の後で、一つの事例として福祉政策の是非を議論するのはいい。「『虚ろな目』の職員160人分の税金は確かに大きい。誰も幸せにならない隔離収容型の福祉政策は税金の無駄だ」という風に。

と、前置きしつつ、事件に影響された記事を書くことをお許しください。ある施設職員が引っ掻かれて「生傷だらけ」の自分の腕の写真を投稿していた。暴力のある知的の当事者にやられたらしい。「若い職員はもっとひどい。容疑者は間違ってる。こうして傷つき苦しみながらも、やりがいを持って頑張る施設職員もいる」という思いをつづっていた。

記事への賛否よりも、思ったのは「ダメだよ軍手しなきゃ」ということだった。ケガの精神的ダメージは大きい。傷ついても「やりがい」や気合で乗り越えるとどこかに無理が来る。燃え尽きるか、後輩に当たるか、弱い利用者をいじめるか。やさしく寄り添っていた新人職員が、やがて変貌し言葉汚く、利用者を呼び捨てにし何でも「ダメ」と言い虐待まがいの「指導」を始め・・定番の「施設の暗黒面」エピソードである。

例にもれず自分もそちらへ堕ちつつあった。自分はいわゆる暴力よりも奇声とか叩きつける音とか「音系」に弱いことが分かり、次に、この鈍そうなキャラで、こんなに感情的(=キレやすい)な人間だったと知った。自己嫌悪もあり、さらに法人内では「入所職員は目つき悪い」とか言われ弱っていた。

その頃、2つの講演を聞いた。空席を埋めるため誘われた「モチベーションブレーカー」なる用語を連発する「利用者の幸せのためにヤル気出せ。職場のお荷物になるな」という話で、じつに空虚に響いた。もう一つ、精神看護の末安民生さんが「ケアする人のケア」について話していた。ケアする側の「弱さ」から捉え直す。人として向き合いたいけど怖くてできない。結果「物」のように扱う。名前でなく「5号室の人」と呼んだりする。自分の心が壊れないために遠ざけたり見下す。

話のほんのさわりだったが、それだけですごく楽になった。自分は危ない奴ではなく、弱いんだ。仕事では「大変なこと」がたくさん起きる。そのままにすると「弱い自分」は身を守ろうとして「やりたくない態度・行動」を取ってしまう。精神的ダメージのうちは良くても、ケガをすると強く防衛本能が働いて冷静になれなくなる。

「うちの同僚は骨折してね、何針縫ってね」、という「強度行動障害自慢」も今思えば自分を守るための、または「虐待まで行かない」ための逃避行動だったのかも。もし聞いたら、冷たくせず彼らの弱さをまずは見守って。そして現場の人は軍手して、足りなければ2枚重ねてもいい。