日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

(2) シセツ職員もつらいよ(2)岩橋さんとの(気まずい)出会い

定員100人の古い身体障害者の入所施設を訪ねたことがあります。男女混じって最大8人部屋に暮らし、昔の病院のような白い壁と長い廊下でした。ただ、統計を見ると8割は「定員50人以下」で、過半数は「30人以下」と、意外に小規模が多いです。前の職場は、定員40人で開所20周年、25周年と行事をしていました。

ある時「定員が約50人・平均年齢が約40歳・開所20周年という施設が多い」ことに気が付きました。データはなく主観ですが、1979年の義務教育化当時に6歳だった人が卒業して、その先の暮らしの場づくりに家族や役所が走り回って、と考えると計算が合います。じゃあ義務化前の人たちはどこにいるんだろう?義務化で、急に「障害者が増えた」わけはないだろうし。

少し興味が湧いて、「たこの木通信」を購読したり岩橋さんのツイッターを見て、5年ほど前に岩橋さんに会いに来ました。たこの木クラブで小一時間話しましたが、正直を言えば悔いの残るものとなりました。「就学差別をなくそう」とか「入所施設へ入れないために」、というテーマで話を聞きたかったのに、自分でブレーキをかけてしまい「シセツの仕事も大変でして」などと話してました。せっかく岩橋さんに会ったのに何しに来たか分からないですね。

就職当初は、ピープルファーストや自立生活運動に関心があり、入所施設という「敵」を内部から探ろう、という気概もありました。しかし、それも忘れて馴染んでいました。また、同じ法人内の通所・就労・GHなどの事業には何となく「序列」があり、入所部門は一番下でした。正確には「入所の男性職員」です。自分です。

声掛けに始まり整容や掃除などアラが目立ち、職員間で肩身狭い。それに上乗せして、東京に旅行してまで職場を否定的に捉えるのは辛い、という精神状態でした。前職の「先進施設研修」で見学した横浜のある法人では、なんと「入所が上」でした。地域支援事業の偉い人が「入所に戻りたい」と言うので、思わず聞き直しました。

「なんでそう思うんですか?」そこでは入所の機能を使ってどんどん地域へ送り出していました。同じ入所でも「目的」が明確で、しっかり現場への浸透していれば「序列」も変わるのかも知れません。