日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

「エネルギー・環境に関する選択肢」パブリックコメントしてみた

他にすることがあったけど現実逃避でこんなもん書いてた。読み直すと相変わらず意味が伝わらない。
http://www.sentakushi.go.jp/scenario/

意見:ゼロシナリオを選択します

理由:まず感情的な部分からです。3/11の原発事故の速報が伝えられてから事故や汚染の状況が分かってくるまで約一ヶ月の間の恐怖感を忘れられません。維持・推進するという立場の方は、せめて全電源喪失から1週間分のTVニュースの録画を再び見せられて、同じ選択をできるのでしょうか。暴走すれば人の英知を集めても「水をまく」ことしかできない怪物です。地震大国で津波大国で、しかも危険な海岸線にしか立地できないこの国にはあってほしくない。

もちろん、1週間分見ろというのはフェアじゃないですし、私自身も少し前まで15%シナリオが妥当だと思っていました。現在ほとんどの原発が止まっているのは「安全でない」からではない。何事も急激な変化は関わる人たちに犠牲を強います。エネルギーや防衛上の安全保障を考慮すれば、縮小しながらも核の存在感を持たせつつ、余裕をもって研究を進められる。利益を生んでいないと十分な予算もつかないでしょうし。

しかし、それが妥当なのは今生きている世代にとって、5,60年という短期・中期的な利益においてです。現在の日本は、繁栄した時代の遺産の利子でなんとか豊かな暮らしを維持しています(またはそういう時代の始まりにいます)。様々な産業が停滞し衰えを見せています。

原発につぎこんだ投資と研究開発は、今後も利益を産んでくれるでしょう。「核を持つ」という安全保障も与えてくれるでしょう。資源のない国にとってのエネルギー安全保障という「安心」もあるでしょう。(カッコをつけたのは、ウランの枯渇は早く、増殖炉のような制御できてない技術に頼るからです)

15%、まして25%を選ぶということは、少しずつ衰える現状を維持するということです。今を生きる我々がいなくなった後、次の世代は莫大な負債でしかなくなった「遺産」を背負い身動きができなくなるでしょう。現状維持の間、内なるイノベーションは起きず、高い燃料はもちろん、新しいエネルギー技術も外国から輸入し(もちろん製品も)続けることになります。

私は、短期的な負担増・従来型産業の衰退を招いても、ゼロシナリオを選び、次の世代に「新しい成長」の種を残したいと思います。ただ、単に「悪いことはやめよう」という動機では大きな政策は動かないと思います。新たな産業を生み、長期的にこの国に利益をもたらす契機とすべきです。
・途上国での原発は成長産業です。今の日本はそれらの国の未来の姿です。世界に先んじて廃炉・核廃棄物処理の研究をすすめ、輸出できるものに
・電気の「大量生産大量消費」はいずれ世界的に頭打ちになると思います。再生エネルギー、スマートグリッドなどの技術は「原発がダメなら次の一手」ではなく、対外的なエネルギー安全保障でもあり、また地方の小さな地域での生活を守るための「より豊かな社会」のための技術だと思います。これも輸出できるくらい育てれば、将来の日本を支える産業になりうるのではないでしょうか。

以上、とりとめもなく書きましたが、長期的な視点でこの国を「豊かな国」にするためにもゼロシナリオを選びました。

余談ですが
100年単位で起きる巨大な津波は「文明に対するチャレンジ」だという話を読んだことがあります。文字を発明したことで過去の災害が記録されるようになり、組織が発達し安定した政治機構ができることでそれが継承されてきました。それでも記憶を受け継ぐことは難しく、人は再び海岸線に移り住み、原発を建てることを許してきました。
今回の「エネルギー・環境に関する選択肢」を選ぶことは、この国の「成熟度」を試すものだと思います。同じ過ち・悲劇を繰り返さないための「継承される知恵」という意味で。

地震津波大国の日本は「災害を受け流す」したたかな文化を発達させてきました。木造の家は壊れやすいですがすぐに建て替えられます。津波で壊滅した海岸部にも諦めることなく人が住みつき町を発展させてきました。
原発はその意味でも異質です。事故が起きれば取り返しがつきません。日本人得意の「再生能力」は役に立たない。

「日本人とは」みたいな感傷的な話を出すべきではないでしょうけど。車を走らすと、狭い国土の山深い内陸部から海岸線のすみずみまで、しがみつくように暮らしています。かつて戦争や乱獲、公害で国土が荒廃することはありましたが、少しづつ再生を続け、緑は多く水はきれいになっています。

事が起きれば狭い国土の一部を半永久的に「放棄」することになる。それは漠然としていますが、理屈よりも強い不安感です。「島国育ち」独特のものかも知れませんが。