日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

「残された仲間のためにできること」

職員になってから5人の利用者さんを見送りました。「あの時どうすれば良かったのか?」答えはなかなか出ないし、病や死に向き合うことは重い課題でした。少し本題から逃げて「残された利用者はどう受け止めているだろう」と考えた時に、自分が「やるべきこと」が見えてきました。

仲間が亡くなると、その人がもともと居なかったかのように「消えて」しまうように感じるのではないか。とくに(職場)では職員の入れ替わりが多く、空いた部屋には新しい方が入るので、去った方の記憶が残りづらいことがあります。

最近見かけないな、と思っていても職員ははっきりしたことを言いません。「死んでしまったらしい」「骨になった。お墓に入った」という噂を聞くようになっても、職員はあまり触れようとはせず、どこにお墓があるのかなど詳しいことは知らされません。重い病気になって長期入院したり、別のところに引っ越すことになっても同じことです。

自分のことと置き換える利用者さんがいるかもしれません。病気になったら、なかなか会いに来てくれなくて寂しいだろう。死んでしまったら、お葬式に来る人は少なく、お墓にお参りに来る人もなく忘れられてしまう。

入院したらお見舞いに行く。亡くなったら葬式に出る。その後は命日にお墓参りに行くなり、その方を偲んで食事会をする。居酒屋で楽しく思い出を話してもいいかもしれません。そのためのマナーなどはしっかり勉強する。

同愛会の研修で高山理事長が「障害者がまっさきに排除される冠婚葬祭を考えることが、日本でのノーマライゼーションのポイント」だと話されていました。その意味が以前より分かってきました。人生経験の乏しい自分たち職員も利用者とまったく同じく、病や死を受け止めきれません。冠婚葬祭の場では、支援者も利用者も「共に」何かを祝い、また悲しみます。立場は対等です。高山さんが言われたのは「支援技術」のことではなく、同じ社会人として共に生きる姿勢のことだと思います。

命日に居酒屋に行く、というのをやったとしたら、それは「支援」なのかも微妙なところです。職員自身のためかもしれません。ただ、リスクマネジメント、再発防止という支援技術サイドの話に偏ると、知らずに広がっていく「溝」がある気がします。支援者は、それほど偉くも強くもないことをAさんには教えてもらいました。

Aさんとの関わりで「支援者という仕事」について問い直す機会がたくさんありました。状態が悪い時は、職員をとにかく精神的に(肉体的にも)追い詰める人でした。「どうなったら自分の感情が耐えられないか」を考えながら接していました。自分自身のケアが重要で「人の支援をしてる場合じゃない」という状態でした。これが「感情労働」なんだと知った時に肩の荷が下りた気がしました。

とくに噛まれて指の骨が折れた時は「自分が強く出れば相手も強く出るから、行きつく先はケガになる。利用者は自分を映す鏡のようなもの」だと気づきました。何があっても自分が冷静でいれば相手に伝わる気がします。(感情労働ですので、冷静でいられないときはきちんとそれも伝えて「失敗」することもあります)

Sさんの命日が過ぎました。Oさんはもうお墓に入ったと思います。知っている利用者とお参りに行きたいと思います。漠然とした不安にいつもさらされている仲間は「自分がそうなっても大丈夫だな」と思ってくれるかもしれません。また、自分のように受け止められない「弱い」支援者も混ぜてもらって、共に懐かしみ励まし合いたいと思います。