日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

なんか泣ける


たった30ページで映画1本見た余韻だ。『土佐源氏』橋の下に住む盲目の乞食老人に聞く。

わるい、しようもない牛を追うていって「この牛はええ牛じゃ」いうておいて来る。そうしてものの半年もたっていって見ると、百姓というものはそのわるい牛をちゃんとええ牛にしておる。そりゃええ百姓ちうもんは神さまのようなもんで、石ころでも自分の力で金にかえよる。

そりゃのう、根っからわるい牛は持って行けん。十が十までうそのつけるもんじゃァない。まァうそが勝つといっても三分のまことはある。それを百姓が、八分九分のまことにしてくれる。それでうそつきも世がわたれたのじゃ。

女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持になっていたわってくれるが、男は女の気持になってかわいがる者がめったにないけえのう(略)わしはなァ、人はずいぶんだましたが牛はだまさだった。牛ちうもんはよくおぼえているもんで、五年たっても十年たっても、出あうと必ず啼くもんじゃ。(土佐源氏 − 忘れられた日本人)

なんか泣ける。

三人とも字を知らなかった。文字のない世界には共通したこのような間のぬけたものがあった。左近翁も若い時はこうした噂の中にだけ生きてきた。そしてそういう中にあっては人を疑っては生きて行けぬものであった。だから一度だまされると何もかも信用できなくなるという。
文字のない世界はそれだけにまた人間も間の抜けたような気らくさと正直さがあったが、見知らぬ世間の人はできるだけ信用しないようにした。(世間師2 − 忘れられた日本人)

なるほどーと思うだけじゃなく、いちいち自分の身につまされる感じ。自分がある種の人を信用できないのは「言葉」を知らないからかな。すごい本だ。