日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

「アウトサイダー・アート」


「藁工ミュージアム」全国に作られる予定のアウトサイダー・アートの美術館の第一号が高知にできたのは誇らしい。何事に余裕のなさそうな県人がこんなもん作るなんてえらい。隣の1月開店のバル高知、通りかかった関係者が「大阪からシェフを呼びました!」と自慢気だけど、それならイタリア人呼んでよ

服部正アウトサイダー・アート」藁工倉庫で期待せず買ったら面白くて一日で読んだ。「名前」は難しい。誰がインサイダーかというと健常者ではなく、ビジネスが成立した旧来のアート(業界)。変な名前でも、無いと治療の指標か劣ったレッテル張りになる。

アウトサイダー・アート (光文社新書)

アウトサイダー・アート (光文社新書)

アール・ブリュット=ナマの芸術は「受け入れられたら終わり」なんだ。要するに(合ってるかな)この本でいろんな事がすっきりした。誰かが見出して命名しないと「存在しない」価値だけど、それが体制に認められると、アウトサイダーとしての力を失う。なんて儚い。でも似た状況はよくある。

アール・ブリュット「発見者」デュブュッフェの言葉。『私が作品を描く時には、一握りの専門家を喜ばせようとは思っていません。それよりは、仕事を終えて通りを歩いている人を楽しませることができれば、と思っています。絵にのぼせた玄人ではありません』デュブュッフェ氏に「いいね!」

「(アール・ブリュット)は芸術的教養に毒されていない人々が制作した作品を指す言葉だ。知識人に因って行われている芸術とは反対に、彼らの場合には模倣が全くない。彼らは、主題、使う材料の選択、配置のやり方、リズム、描き方などのすべてを自分自身の心の奥から引き出し」

「古典芸術や流行芸術などの凡作から引き出すことはしない。ここで私たちが目にするのは..(略)..完全に純粋で生の芸術行為だ。したがってこの芸術には、発明の機能だけが示されている。それは、文化的芸術が見せる猿真似とカメレオンの機能とは正反対のものだ」やたら挑発するデュブュッフェさん

酔いは覚めてきたけど、変な食欲が出て姉の土産のラスクを15枚くらい食べてしまい気持ち悪くて寝られない。今日撮った写真をのせます。朝の散歩、港に転がっていたコーンを蹴飛ばして逃げるハトを撮る。わざとらしい一枚

本の感想としては、先人たちが何かを始めて100年経ってるのに(日本だけかも知れないけど)現状はこれだけかっていうこと。これは大変だな。