日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

突然ですが富士山(3)

富士山からの帰りの車は大変だった。1時間走ると意識がもうろうとしてきた。車を止めて仮眠ばかりしていたら、御殿場を昼過ぎに出発して翌日の昼に着いた。疲れたので寝ればいいと思ったら寝てもだめだった。後で、栄養失調だったと気づいた。帰って一日中何か食べていた。

9合目の手前で引き返して、5合目の駐車場で半日悩んで、もう一度登ることにした。でも食料がない。土産屋でアメとか溶岩黒糖とかカロリー多そうなものを買いこんだ。でも活動量からすると明らかに「数千カロリー」足りてない。

出発前は悲壮感がただよっていた。体力不足で足をつったり、寝不足で高山病で倒れて助けも来ないんじゃないか。そうそう、当然いっしょに行ってくれる人はいなかったし。出発の22時に月に照らされながらShimada AikoさんのCDを聞いていた。なんでよく覚えているかというと、誰かに話そうと記憶を反芻していたから。CEさんに一度話したら好評だったけど、それきりだった。

高校生に学んだ謙虚の心であせらず無理せず歩く。2度目だけど苦しくはなく順調だった。山頂は暗かった。厚い雲海に包まれて日の光が見えない。ご来光は不発かな。でも雲の動きを眺めているだけで面白い。

足元まで立ちこめていた雲海が盛り上がって穴があき、高低差3千メートルの斜面を見下ろせた。山すそからの風が雲の層をめくり上げた。盛り上がった雲は、山頂の僕の目の前で消えていく。形を変えながら消えていく。そこに、期待していなかった最初の光が差した。


走って人のいない岩の先に立つ。「ステージ」の中央の奥はピンクから黄色や赤に色を変える。空は後ろの濃いムラサキから水色まである。両サイドには今でも何かわからないオレンジやピンクの「光線」が走った。ようやく山頂に光が届くと、視界がキラキラと輝いた。0度は切ってなかったと思うけどダイヤモンドダストだと思う。

いろんなことが目の前で起きた。光もいいけど、雲も動き続け、日が昇ったころには雲海がほとんど晴れていた。照明だけでなくステージも回転して、何も邪魔しない3700メートルの眺め。失礼にも、槍ヶ岳山頂からの眺めにピンと来なかったのはきっとこれのせい。でも、たぶん気持ちの問題だと思う。前日死にかけて、2回登って消耗しきったから「見えた」んだと思う。この富士登山ではいろいろ「見えた」