日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

映画 『9月11日』

今池の名古屋シネマテークへ。映画を観るためだけに街へ出る。なつかしい感じ。

入りづらい。アングラな感じは変わらない。初めて来たのは、愛知に来たばかりだから13年前も前になる。少しは大人になってて、あの場に馴染めるのかと期待したけど、やっぱり入りづらい。13年の間に「一般的な」映画館はシネコンになって、家族向けのテーマパークみたいになってる。変わることなく古くなったアングラは、ぼくが成長するより速く深く潜っていた。

「ドアを開けるときはドアノブを回してください」とトイレのドアに書いてある。来るたびに意味が分からない。たぶん凡人には計り知れないんだと、自分を納得させる。
旅行が趣味だというと「一番よかった景色はどこ?」と聞かれて、本当は「富士山頂の夜明け」なんだけど、ありきたりなので少しひねったのを出そうとする。人生で「一番うまかった食べ物は?」と聞かれたときの答えを考えた。高校の時、思いついて一日だけ断食したことがある。翌朝食べた、焼いてない安物の食パンがうまかった。

でも一番は、大阪にいたころ西九条の映画館の前で食べたレモンのかき氷だと思う。7月の一番暑い晴れの日に上新庄から15km自転車で走って、体温が上がりきったところで食べた。おかわりした。何がしたかったかといえば、たぶん「体を極限まで追いこんでテンション上げれば、映画をもっと楽しめる」とかだと思う(当時の自分はよく分かりません)。2番目は、インドのピザハットで頼んだ「7up」で、こっちの方が物語があるので聞かれたらこっちを答えようと思う。あまり聞かれないけど。

ドキュメンタリー映画『9月11日』

介護の若手リーダーたちが昨年9/11に広島でやったトークイベントのドキュメンタリー。自分も参加するつもりでいたけど、どうやっても翌日出勤できそうにないので諦めた。

知り合いが出ているし、名古屋では公開されたばかりなので、宣伝しようと思ったけど違うことばかり書いている。ぼくは面白かったけど、福祉業界じゃない人にはどう見えるんだろう。トークイベントのドキュメンタリーって、思い切ったことをやると思う。ミュージシャンみたいな扱いだ。

実践の紹介は最小限で、制度や従来の福祉に対する批判も、あるだろうけど出てこず、ひたすら自分の哲学を語っている。知らない人には、彼らの言葉が軽く聞こえないだろうか。ぼくは、彼らの本や記事を通して、言葉の背景にある苦悩や怒りを少しは知っている。地位のある年寄りがこれをやったら、危ないし誰も聞かない。

現場にいる彼らの「個」が前に出ることは、介護される側にも光を当てることになると思う。現場にいない理事長が「理念」を語り、匿名の介助者が忠実に理念を実践に移す。「尊厳を守り」「家庭的で」と言いながら、実際は虐待していて隔離していて放置している。

支える必要のある人がいて、支援の方法論があり、制度がある。それで、支え守る体制が出来そうだけど、中心にいたはずの人は消えてしまう。出演メンバーの精神的リーダーである三好春樹さんは、要介護老人の「問題」も安定も、人間同士の「関係」から生まれると言う。関係の中で「介護する側」をうまく隠せば社会福祉の理念は見やすくなるけど、イニシャルの要介護何度のAさんBさんがたくさん出来てしまう。

解説しようとすると、とたんに訳が分からなくなる。困った。感想をひとつだけ書くと、「井戸端げんき」の伊藤さんが良い。書いた本も読んでいたけど印象が変わった。すっかりファンになった。

食事が好きな年寄りの胃に管を入れようか迷っているうちに誤嚥をおこして亡くなってしまった。家族は、施設をかばって「病院で亡くなったことにしてほしい」と医師に頼みこんだ。先進的な実践をしていた別の事業所で事故が起きた。様子を見に行った伊藤さんに記者が施設側の責任を追求する。一面的な批判を伊藤さんは許せない。惚けて体も弱った人を、生活と自由を奪わずにどれだけ支えられるか。従来通り山に施設を作って寝たきりにしておけば「事故」は無くなる。

「石井さんち」の石井さんが問題提起する。それはいいけど、ずっとそれでいいの?事故が起きれば、指定取り消しで利用者は追い出されスタッフの生活も壊れる。風当たりが強くなって、新しい試みをしようとする人が居なくなる。

石井さんの良くも悪くも現実的な発想に対しては、当然模範解答のようなものがあると思っていた。ぼくは上手く言えないけど、伊藤さんならきっと。

社会福祉の発展の歴史では、個人の実践があり、社会の理解が広まって、制度が追いついてきて、良からぬ業者が出てきて規制も強くなり、また制度からはみでる実践が出てきて、理解され、制度ができ・・。制度を作れば広まると言う人がいれば、制度に縛られると言う人もいる。利益とリスクの管理をうまくやって事業のモデルが出来れば広まるという人がいれば、介護はまったく新しい仕事で生き方だから同じものが広まっても意味ないという人もいる、と思う。

制度ができて事業が成り立てば自由は減る。自由を残して普及させるには難しいバランスが必要な気がする。自前でリスク管理する余裕がなければ同業者で研修したり、共同でチェック機関を作るとか。

伊藤さんは・・言葉に詰まってしまった。「(事業所つぶれても)生活はできる・・」言葉は忘れたけど「自由にやることの方が重要」というようなことも言っていた。苦しそうに。人によったら逆切れして理念を語ってもいい場面だけど、伊藤さんは黙っていた(編集の加減かも知れないけど)。

模範解答を言わないでくれて良かった。この人は社会全体、一般的な価値観に対してアクションを起こそうとしている。本当のリスクは、社会構造が変わろうとしている時代に、古い価値観を捨てられない社会にあるかもしれない。「事業所のリスク」を気にしだしたら先へすすめない。

誤解を招くけど、トップが事故のリスクを心配する福祉事業所では働きたくない。パンフレットに「安全・安心」と大きく書かれた施設に家族を入れたくないし働きたくない。No.2あたりがトップの暴走を止めるくらいがちょうどいい。