日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

東栄町の花まつり

トーエイチョウというと、猿を投げるサナゲ、足を助けるアスケ、手を作るツクデという三河の地名の中ではアカ抜けた感じがする。僕が訪れたのは「チェーンソーアート大会」と古い福祉施設「すぎのき寮」に付き添ったの2回で、どちらも変わってて日常には無い。

まったく垢抜けてないけど、この町には面白いことがある。ポスターで見た「天下の奇祭」は今どきよく聞くコピーだ。でも、ここは予想を越えてくれそうだ。

正直あまりついて行けなかった。会場の布川集会所がすごいところにある。暗い山道を走っていると、路上駐車があふれているので「このへんかな」と思う。谷へ降りる道が、暗い森に落ち込んでいる。行ってもいいのかな。小さなお堂に登る「体感角度60度」くらいの急でせまい石段を降りていく。まず、基本のアクセスがこれだけなのが怖い。
谷底に見えるのは大きな焚き火と、人がぎゅうぎゅうに詰まった集会所だけ。屋台が2つ来ているけど他にはなくて真っ暗だ。もし時代が違って部外者が自分だけだったら、儀式の「進行上」殺されてお供えにされても、無かったことになる。本当はよそ者には怖いはずだけど、数の安心感で守られている。

夜明けまで踊り続ける。途中で抜けてきた。翌朝、友人を手伝う用がある。

その友人はメンタルヘルスに問題ありで、前日に彼が通院するのに初めて付いていった。家族など協力者が大事だというけど何を協力すればいいのか分からない。パワーOFFの本人に聞いても埒があかない。それで治療方針だけでも聞きに行ったら、職場の人間ということでかなり警戒された。辞めさせるための医者の意見を利用しようとする職場もある。主治医に「友人として来た」と話すと安心したようだった。それで医者は新しい治療方針を出してきた。

メンタルな人が孤立するわけが少し分かった。辞めさせたい職場と、本人を守る医療は協力しずらい。それは分かる。その代わり、本人を支えることも出来るたくさんの力は無視されてる。・・僕の業界もほぼ同じことなので責められないけど。

直前になって、新しいことは先延ばしにしたい、と連絡してきた。「主治医は、荒木が来たこともあって盛り上がって勢いで言っちゃったんだ。少し認識がおかしい点もある。」たしかにそんな雰囲気もあった。ふだんはシャキッとしない男だが、こういうネガティブな分析はしっかりしている。その他やらない理由をいくらでも挙げてきた。

学生の時、教官が「モチベーション、やる気の研究より『やらない気』の方が面白い」と言っていた。禁煙をやめる決断とか。先延ばしはいいけど、その考え方のアンバランスさが今後の手がかりになりそう。

花まつりの「設定」は怖いけど、踊りの輪を中心に笑いの絶えない温かい祭りだった。過疎で存続が危うい。久しぶりに再会したらしい村出身の若者が肩を組んで歌っている。名古屋か浜松に出たのか、服も髪もおしゃれ「したい」感じの。

21時に着いてしばらく見たら疲れて車で仮眠してAM2時前に見にいったら、ちょうど鬼が出てきた。この鬼はめったに出てこない。待ちくたびれて客が帰る頃に出てくる。ズルをした後ろめたさがあった。

中学生の女の子が踊る。最初照れ笑いもあったのが、だんだん表情が真剣になってくる。この歳になると、中学生というと父親の目線になってる気がする。これで一息つけて、帰ることにする。子供が出てくるのが午前3時前というのが普通じゃない。

「山見鬼は、かまどを山に見たて山を割る動作は圧巻である。」
http://www.town.toei.aichi.jp/04_kanko/hanamatsuri_oni1.html#hukawa

あとで知った「山を割る」というエピソード。これは見たかったな。なんで山を割るんだ。謎は多いし、美しいわけでもない。当然、みなで絶叫する「テーホヘトーヘ」の歌なんかどうにも難しい。声が枯れにくい音(子音)かもしれない。一晩歌うから。

最近のお寺は潰れかけだけど、不安定な現代にこそ存在意義がある。NHKでやっていた。お寺もまつりも、昔はそこらにあったものが見えなくなっている。その役割は別のものが果たしているし失われたものもある。あのしょうがない男も、今失われた役割からの支えがあれば違う気がする。